なぜ3.11からたった3カ月でメルケル首相は「脱原発」を決めたのか? 着々とエネルギーシフトを推し進めるドイツ

「脱原発」を決めるまでの3カ月

2011年3月11日起こった福島第一原発事故の発生は、ここドイツでも積極的に報道された。事故直後、市民からはすぐに原発に反対する声が上がり、各地でデモが開かれた。そうした状況からメルケル首相は事故発生から4日後に、1980年以前に稼働を始めた7基を含む8基を即時停止している。さらに、全ての原発の安全性を確かめるためにストレス調査の実施を決定した。

ドイツ人がこれだけ大きな反応を示したのには理由がある。1986年4月26日に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ。事故当時、チェルノブイリから2000キロ離れたドイツにも放射性物質が降り注ぎ、農作物が汚染され、子どもたちは外で遊べなくなった。福島原発事故はドイツ人たちのトラウマを想起させたのだった。

メルケル首相は物理学の博士号を取得しており、原発の危険性についてもよく理解していたといわれる。その上で事故は起きないだろうと想定しており、もともと前政権が2022年に脱原発をすることを決定していたが、事故の半年前にそれを2036年に先延ばしすることを決めていた。ところが、日本というハイテクな国でこのような事故が起き、メルケル首相の考えを180度転換させることになる。

2011年4月4日から5月28日まで、メルケル首相はさまざまな分野の専門家や議員17人からなる「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置して議論を交わした。そして、どんなに安全性が高くても事故が起こりうる可能性はあり、原子力よりも安全なエネルギー源があると、同委員会は結論付ける。メルケル首相は6月6日に2022年までに原発を停止することを閣議決定し、ドイツは再び早期の脱原発へと大きく舵を切った。

気候変動がエネルギー転換を後押し

脱原発と同時に、褐炭および石炭による発電に頼らざるを得なくなったドイツ。同国の二酸化炭素(CO2)排出量は欧州連合(EU)加盟国の中でトップで、世界ランキングでは6位だ。一方、2018年の熱波による記録的な猛暑をはじめ、市民の間でも気候変動に対して改めて危機感が高まった。ちょうど、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが気候変動ストライキ「Fridays for Future」(未来のための金曜日)を始めた年でもあり、この運動は世界中に広まったが、とりわけドイツの若者は積極的に参加した。

そうしたなか、ドイツは2019年1月26日に2038年までに脱石炭を目指すことを発表。また、同年5月26日に行われた欧州議会選挙で、ドイツでは緑の党が得票率を約2倍に伸ばし、人々の気候変動への危機感が顕著に現れた。さらに、メルケル政権は同年10月9日に「気候変動保護プログラム2030」(詳細は以下)を閣議決定した。

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