今日(3/11)で生誕100周年:アストル・ピアソラのモダン・タンゴ50年史概略

2021年3月11日に生誕100周年を迎えた“タンゴの改革者”と呼ばれ、作曲家でありバンドネオン奏者のアストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)。これを記念してベスト盤と7作品のレア盤が発売されました。

そんなアストル・ピアソラのキャリア50年史と今回発売となった7つのアルバムについて、日本のピアソラ研究の第一人者であり、『ピアソラ自身を語るCD 』(河出書房新社・2006年)の翻訳も担当した斎藤充正さんによる解説を掲載します。

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2021年3月11日のアストル・ピアソラ生誕100年を記念して、アストル・ピアソラのCD7タイトルがリリースの運びとなりました。大変貴重かつ重要なタイトルが並んでいますが、彼の数多い作品の中で、これらはどのような位置づけとなるのでしょうか。そもそも7タイトルもあると、どれから聴けば良いか迷ってしまいそうですね。

クラシックの演奏家がその作品を取り上げていることでピアソラを知り、興味を持ったという方にとっては、ピアソラとは作曲家であるという印象が強いのかも知れませんが、彼はまず第一にタンゴの演奏家であり、楽団リーダーです。その活動歴は半世紀に及びましたが、基本的に自分の作品しか演奏しなくなったのは、その後半の半分程度だったのです。その50年史を極めてざっくりまとめますと、次のようになります。

  • 1940年代前半 アニバル・トロイロ楽団でのタンゴ修業
  • 1940年代後半 タンゴの伝統的スタイルでの自身の音楽事始め
  • 1950年代前半 タンゴに限界を感じクラシックの作曲家を目指す
  • 1950年代後半 タンゴ革命の狼煙を上げるが受け入れられず
  • 1960年代前半 理想的なフォーマット=五重奏団で安定した活動へ
  • 1960年代後半 スランプを経て新たな次元へ
  • 1970年代前半 究極のアンサンブル~病気休養~活路を求め海外へ
  • 1970年代後半 ロックへの接近~他ジャンルのアーティストと交流
  • 1980年代前半 アコースティックへ回帰~五重奏団で世界を巡る
  • 1980年代後半 五重奏団の頂点と安定の日々~病魔との闘い

この活動期間中、ピアソラは数多くの録音を残しています。大まかにいって、1974年以降は海外に拠点を移したため、契約先のレーベルも海外がメインとなりますが、アルゼンチン国内での活動が主体だった1973年までは、基本的には国内のレーベルと契約していました。1950年代末まで試行錯誤を繰り返してきたピアソラにとって、1960年に結成したキンテート(バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバスによる五重奏団)が理想的な演奏形態となり、安定した活動の基盤が固まるのですが、それ以降に限っても、次のようにいくつものレーベルを転々としています。

  • 1961年 RCAにアルバム2枚
  • 1962~63年 CBSにアルバム3枚
  • 1964年 フィリップスにアルバム1枚
  • 1965~67年 ポリドールにアルバム4枚
  • 1968~69年 トローバにアルバム3枚
  • 1970~72年 再びRCAにアルバム5枚

活動が安定してきたとは言っても、ピアソラの音楽は決して“売れる”ものではなかったので、長期の契約を結ぶまでには至らず、このような形になったのです。もっともフィリップスとポリドールは、当時アルゼンチンではどちらもフォノグラム社からの発売でしたから、ひと括りにして構いません。その2つのレーベルに録音していた時期は、上のリストからもわかるように、この活動期の中間地点にあたります。

今回のシリーズを構成する7枚のうち、フィリップスからの『モダン・タンゴの20年』、ポリドールからの『エル・タンゴ』『ニューヨークのアストル・ピアソラ+6』『タンゴの歴史 第1集~グアルディア・ビエハ』『タンゴの歴史 第2集~ロマンティック時代+7』の5枚が該当します。最後の『タンゴの歴史』2枚は“続きもの”ですが、フィリップスからの『モダン・タンゴの20年』も含め、それ以外はどれも作品の傾向が異なりますので、並べて聴けばピアソラの多面性に気づかされるはずです。

そうは言っても、一気に全部買うのはしんどい、とりあえず1枚選ぶとしたらどれか、と言われれば、1965年に録音された『ニューヨークのアストル・ピアソラ』とお答えします。これはピアソラの全アルバムの中でもトップに位置する傑作としての高い評価を得ていて、何を隠そう37年前、ピアソラに興味を持った私が帯に書かれた「最高傑作」の文字に惹かれて最初に買ったのがこのアルバムでした。そしてその選択に間違いはありませんでした。このアルバムに衝撃を受けて以来、私はピアソラの世界にどっぷり浸かることになったのでした。

『ニューヨークのアストル・ピアソラ』

キンテートの演奏力が最初のピークに達したことが克明に記録されたこのアルバムは、自作のインストゥルメンタル曲だけで全曲が構成された最初のアルバムでもありました。タイトルから勘違いされやすいのですが、これはニューヨークでのライヴ録音ではなく、文化使節として訪れたニューヨーク、フィルハーモニック・ホールでの公演の成功を受けて、帰国後にブエノスアイレスのスタジオで録音されたもの。“天使”と“悪魔”をテーマにした連作を軸としたコンセプト・アルバム的な側面も持ち、独特の空気感がありますが、最新リマスタリングによってその世界にどっぷり浸れるのも魅力です。ボーナス・トラックとして「ブエノスアイレスの夏」の初演など、当時はEPやシングルでしかリリースされなかった貴重な6曲も収録されています。

それでは、そのほかのアルバムも紹介しておきましょう。1964年の『モダン・タンゴの20年』は、タンゴの基礎から応用までを学んだトロイロ楽団を脱退して、歌手フィオレンティーノの伴奏楽団指揮者に就いた1944年以来の歩みを再現したもの。タンゴの基本的な楽器編成であるオルケスタ・ティピカ時代から、1954年に留学先のパリで結成した弦楽オーケストラ、1955年のタンゴ革命の象徴となったオクテート・ブエノスアイレス、そしてキンテートへと、率いてきた楽団の変遷を実際に音で辿れる企画は珍しく、ためになります。

モダン・タンゴの20年

1965年の『エル・タンゴ』は、アルゼンチンを代表する文豪であるホルヘ・ルイス・ボルヘスが発表してきた詩や散文にピアソラが曲を付けるという画期的な試みをまとめたもの。ボルヘスの描くタンゴには彼自身による空想の世界も含まれ、実際のタンゴとは異なる部分も多いのですが、ピアソラはタンゴの伝統にも立ち返りながら、キンテートをベースに、曲によっては編成を増やしたアンサンブルを率いて、その世界に色付けしていきます。言葉の部分は歌や朗読が担いますが、タンゴ史上最も優れた歌手の一人でもあったエドムンド・リベーロがここで重要な役割を演じているのも聴きもの。

エル・タンゴ

『ニューヨークのアストル・ピアソラ』で頂点を極めたように見えたピアソラですが、女性問題に起因する大スランプで曲が書けなくなってしまいます。そこでポリドールから提案されたのが、過去のタンゴの名曲をアレンジして聴かせる1967年の『タンゴの歴史』シリーズでした。『タンゴの歴史 第1集~グアルディア・ビエハ』には「エル・チョクロ」「ラ・クンパルシータ」などタンゴの古典的な名曲が並んでいますが、ピアソラはかなり大胆なアレンジを施しています。そもそもタンゴという音楽は、同じ曲を各楽団が様々に趣向を凝らし、アレンジの腕を競う側面もあります。機会があれば、ほかのタンゴ楽団による演奏も聴いてみると面白いですよ。

タンゴの歴史 第1集/グアルディア・ビエハ

対して『タンゴの歴史 第2集~ロマンティック時代+7』は対象となる時代が少し新しくなり(1920~30年代ぐらいですが)、ピアソラが好きだったり影響を受けたアーティストの佳曲が並んでいるので、ピアソラのルーツを確認する上でも重要です。シリーズは当初アルバム4枚で完結の予定でしたが、第3集の制作に入ったところで嫌気が差してしまい4曲で中断してしまいます。その4曲なども今回ボーナス・トラックとして収録されています。

タンゴの歴史 第2集/ロマンティック時代 +7

残りの2タイトルは録音時期も新しくなり、ここまでご紹介の5枚とは性格が異なります。1974年以降ピアソラはイタリア~フランスに拠点を移し、当時先端のロックやジャズにも大胆に接近。多ジャンルのアーティストとの共演も盛んになりますが、そんな海外の歌手たちとの共演(関わり方は伴奏楽団指揮、作曲、演奏などさまざま)を1枚にコンパイルしたのが『コラボレーションズ』です。ブラジルのネイ・マトグロッソ、エジプト生まれのギリシャ人シャンソン歌手ジョルジュ・ムスタキ、フランスのマリ=ポール・ベルとの録音はいずれも1974年から76年にかけての録音ですが、オーストリアのアンドレ・ヘラーとの最後の2曲は1984年の録音で、演奏は1978年に再結成されたキンテートですので、雰囲気は異なります。いずれも海外のポリドールおよび傍系レーベルからリリースされたのがオリジナルで、なかなか聴く機会のない貴重なトラックが並んでいます。

コラボレーションズ

最後の『オランピア ‘77』は、息子ダニエル(シンセサイザーとパーカッション)やアルゼンチンのロック系若手ミュージシャンで構成された通称“コンフント・エレクトロニコ”を率いての唯一の公式ライヴ・アルバムとして、当時フランスのポリドールからリリースされたもの。今でいうフュージョンっぽい演奏には度肝を抜かれますが、これもまた一時期のピアソラの姿を反映した貴重な記録で、単独でのCD化はこれが世界初となります。人気の「リベルタンゴ」もここで聴けます。

オランピア ‘77

Written by 斎藤充正

© ユニバーサル ミュージック合同会社