「ありがとう」死刑囚は最後にほほ笑んだ 教誨師が塀の中の経験から思うこと

府中刑務所で受刑者(手前)に対してミサを行うガラルダさん=2020年8月

 「教誨(きょうかい)師」の活動をご存じだろうか。2018年2月に死去した俳優大杉漣さんの最後の主演映画「教誨師」(18年10月公開)を見た人はお分かりだが、宗教を通じて死刑囚や受刑者と向き合い、心情の安定を図り、罪に向き合うよう促す役割を果たす。教誨師が塀の中で何を経験し、何を思うのかを取材した。(共同通信=今村未生)

 ▽死刑直前のミサ

 聖イグナチオ教会協力司祭のスペイン人神父、ハビエル・ガラルダさん(89)は、20年間にわたり、東京拘置所(東京都葛飾区)で教誨師を務める。日本語は堪能で、これまでに6人の死刑囚と向き合ってきた。

東京拘置所の敷地内を歩くガラルダさん=3月15日午前

 その中で忘れられない記憶は、約10年前、刑執行を直後に控えた死刑囚にミサを執り行ったときのことだと、顔を時折しかめながら振り返った。いつか執行の日が来ると分かっていても、対話を重ねた人物が今まさに死ぬという現実は「ショックだった」と言う。

 その死刑囚は驚くほど落ち着いていた。ガラルダさんが「(刑確定から執行まで)早かったですね」と声を掛けると、ほほ笑んだ。最後に「ありがとうございました。悪いことをした。申し訳ない。許してほしい」と話し、顔に布をかぶせられ、刑場へ連れて行かれた。約30分後、遺体と対面し、拘置所幹部らと一緒に献花した。

 「旅立つときの心情安定のため」(法務省幹部)との理由で、死刑囚は希望すれば執行直前も教誨を受けられる。ガラルダさんが長年の経験の中でも担当したのはこの1回だけだ。この後も、執行前日に拘置所から来られるかどうかを確認する電話が入ったことがあるが、予定があり断った。執行とは打ち明けられていなかった。別の教誨師に声が掛かったそうだが、ガラルダさんは「すごく残念だった。(執行された)彼は寂しかったでしょう」と話し、悲しい顔を見せた。

 一方でガラルダさんは、拘置所の職員にも温かいまなざしを向ける。「さま
ざまな場面で、死刑囚は職員にとても大切にされていると感じる」。対話の場と
なる教誨室はいつも、職員によって花が飾られているという。

 ▽人間として成長

 ガラルダさんは1958年、宣教師として来日。両親が明治時代、新婚旅行で訪れた日本に縁を感じていた。スペインで出所者の支援などに取り組んだ兄に倣って、教誨師の仕事を引き受けた。

 東京拘置所には2000年から月1回、足を運ぶ。死刑囚と対面するのは6畳ほどのキリスト教専用の教誨室。時間は1人30分。刑務官が立ち会うものの、面会室のように死刑囚との間を仕切るアクリル板はない。

 ガラルダさんが、これまでに受け持った死刑囚との対話の一端を明かした。一人は哲学が好きで「本を読んで感動しても、人と話せないことがつらい」と話す。別の一人は自身を灯台に例え「私の歩んだ道を歩まないよう示すことが、私の生きる道だ」と語る。

取材に応じるガラルダさん=2020年9月

 ガラルダさんは「彼らは人間として成長している」と感じている。「死刑囚には考える時間があり、『深いところの自分』と仲良く話すからだ」。ガラルダさんはこれを「充実した沈黙」と表現する。ただ、「浅いところの自分」としか話せない死刑囚は罪と向き合えず、境遇に不満を述べるのだそうだ。

 「沈黙」の程度にも注意が必要と考えている。家族と疎遠で面会者がいない死刑囚も多い。このため「アウトプットの機会がなく、内にこもり、自己弁護と憎しみを生んでしまうことがある」。高齢で膝も悪いガラルダさんが通い続けるのは、貴重な会話の機会を奪わないようにするためだ。

 ▽まずは議論を

 死刑制度には賛成できない。「正義の名の下に、改心した人の命を奪う必要はあるのか。政府がリーダーシップを取って、まずは議論するべきだ」。一方で「反対派の一部は、執行の暴力性をセンセーショナルに強調しすぎている」と感じており、「死刑という『報復』によって被害者遺族が本当に救われるのかという視点で考えてみたらどうか」と提案する。

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 全国教誨師連盟の資料によると、教誨は明治の初めに真宗大谷派の僧侶が受刑者に説教を行ったことが始まりとされる。1908(明治41)年に監獄法が施行され、法律に基づき実施されるようになった。

 監獄法に代わる現在の刑事収容施設法は「施設の長は、収容者が宗教上の教誨を受けることができる機会を設けるよう努めなければいけない」と規定しており、収容者は希望すれば教誨を受けられる。信教の自由があるため義務ではない。

 現在約1800人が全国各地の刑務所や拘置所など矯正施設にボランティアとして通う。ガラルダさんはキリスト教の神父だが、仏教や神道をはじめさまざまな宗教の教誨師がいる。

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 2003年から府中刑務所に通う田沢衛さん(49)と、東京拘置所で08年から女性受刑者を担当する三浦聖令さん(50)にもそれぞれインタビューを行い、これまでの経験を通して感じた思いを語ってもらった。

 ▽田沢衛さん

 私の宗派である浄土真宗本願寺派は古くから教誨活動に携わってきた。私自身も受刑者がどういう悩みを持っているか興味があり、教誨を引き受けた。府中刑務所で実際に彼らと触れ合ってみて、問題を抱えている人が多いと感じる。

取材に応じる田沢さん=2020年9月

 受刑者から、被害者のため、死に目に会えなかった自身の肉親のため、お経を上げてほしいと頼まれることがある。涙を流す人もいる。心に響くものがあるから涙が出るので、内面をもっと豊かにすれば、もう二度と刑務所には戻って来ないと思う。

 教誨師になり、自分自身にも変化があった。以前は、受刑者に偏見もあったが、複雑な事情を持つ人もいると知った。ただ、事情があっても、自分の都合で人に迷惑を掛けたり、苦しませたりしてはならない。それを自覚してもらうことが教誨師の役割だと思う。被害者や遺族、自分の家族の思いを理解してほしい。

 教誨師が向き合うのは受刑者だ。被害者や遺族の悲しみに直接寄り添うわけではない。ただ、仏教ではすべてが縁でつながっていると考える。受刑者に罪の意識を持ってもらい、間接的にでも、被害者や遺族の苦しみを癒やすことができればと考えている。

 ▽三浦聖令さん

 小学校の教員を務めた後、実家の寺を継いだ。僧侶になってから、心理学を勉強したくて大学に入学。授業で罪を犯した少年の絵を見て、ショックを受けた。家族の中で居場所がなく、自身を透明人間として描いていた。この子たちを社会が救わないといけないと思った。

取材に応じる三浦さん=2020年9月

 東京拘置所で女性受刑者の集合教誨を月1回、行っている。受刑者自身が暴力や性被害を受けていることが多い。薬物依存や窃盗癖がある人については、正しい知識や治療が必要とも感じる。社会復帰後に困った際の対処方法を学んでほしい。

 教誨は、もともと彼女たちが持つ、きれいで柔らかな心に気付かせる活動だと考えている。私も彼女たちに話をすることで、一緒に成長させてもらっている。

 自分自身の話をすることもある。4年前、脳に腫瘍が見つかった。良性だったが、教誨師を続けられないかもしれないと思った。人生何が起こるか分からない。生かされているありがたさを感じた経験を伝えている。

 彼女たちは、家族や子どもともう一度向き合いたいと強く思っている。誰かの手を借りてもいいんだよ、と伝えたい。出所後の彼女たちを許容する社会であってほしい。

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