柳楽優弥主演、モンゴルが舞台の映画『ターコイズの空の下で』がコロナ禍で響く理由

今まで当たり前にあったこと、できたことが、コロナ禍によって手の届かないものになってしまいました。便利だと思っていたことが、使いづらいものになってしまいました。

世界が急に変わってしまったときに、人はどうもがき、学び、糧としていくのか。科学技術と物質に頼り切った社会(東京)と、自然が主役として悠々と時間が流れる世界(モンゴルの草原)との対比を通じて、柳楽優弥さん演じる主人公・タケシの成長を描いた映画『ターコイズの空の下で』が、今年2月26日から全国で順次封切られました。

新型コロナウイルスという運命を、私たちはどう受け止めればいいのか。同映画を撮ったKENTARO監督に、作品のこと、コロナのこと、そして監督が思う今後の映画について聞きました。

©TURQUOISE SKY FILM PARTNERS / IFI PRODUCTION / KTRFILMS


一変した環境で道楽青年が自身を見つめ直すロードムービー

同作品は、裕福な家庭で甘やかされて育った日本人青年タケシ(柳楽優弥)が、実業家の祖父(麿赤兒)により外モンゴルの草原へと送り込まれる物語です。

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その理由は第二次大戦時に大陸で従軍し、終戦後の抑留期間に現地の女性との間にできた祖父の娘を探すため。観光気分でモンゴルまで来たタケシでしたが、モンゴル人のアムラ(アムラ・バルジンヤム)をガイドに、贅沢な日本の生活とはかけ離れた年代物のバンに乗せられて、都会での道楽生活とはかけ離れた自然あふれる世界に投げ出されていきます。

この映画が撮られたのは、世界がコロナ禍で騒ぎ出す前でした。その後、作品内でタケシが生活を一変させられたモンゴルの草原へ連れて行かれたように、奇しくも私たちも否応なくニューノーマルでの生活を強いられています。

モンゴルと日本の知られざる歴史

――主人公タケシのように、私たちも今まで経験したこともないコロナ禍という世界で、急に暮らしていかなければいけなりました。今回の映画撮影をしていた頃には、今のような世界になることは予想もしていませんでしたが、そもそも作品を製作するきっかけは何だったんでしょうか?

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ストーリー自体は、何年か前にモンゴルのスター俳優であるアムラ・バルジンヤムと会った際に、そこで盛り上がった話から端を発しています。

第二次大戦後に日本人捕虜が、モンゴルの首都ウランバートルにある国会議事堂やオペラ座などの建設に携わったそうです。旧ソ連におけるシベリア抑留の話は有名ですが、ここでも同様に日本人捕虜が労働力となりました。シベリアより待遇は良かったそうですが、強制労働に駆り出されました。

こういう話をモンゴル人はみんな知っているのに、なぜ日本人は知らないんだということをアムラに言われ、それをきっかけに、捕虜時代に現地の女性との間にできた子供を探しにいくという、あらすじができました。

都会っ子タケシに込めた心細さ

──映画の中では、都会っ子の代名詞のようなタケシが、都会での常識が通じないモンゴルの草原で格闘します。

あれ、じつは私の体験を元にしたものです。アムラとモンゴル国内を旅行した後に、今回の映画のシナリオを書き始めました。物語の中で車が故障して、タケシが何もない草原の中で一人ぼっちになるというシーンがあります。あれもそのままです。

というのも、草原では通常の携帯の電波が届きません。そのため「今から故障した車のパーツを探しに行く」とアムラが出かけていってしまったら帰ってくるまで連絡の取りようがないんです。故障部分のパーツを探すといっても、まず一番近い村まで行って、そこで村人から衛星電話を借りて、パーツがどこで手に入るか尋ねることから始まります。

──時間かかりそうですね……。

私との旅行中も、アムラは「すぐ帰ってくる」と出かけていくのですが、それが何時間後かはさっぱり分からない。私は、草原のど真ん中に8時間くらい待たされました。だんだん寒くなるし、車のライトも点かない。外は動物の泣き声や音がする。盗賊が車を持っていってしまうかもしれないから、車からは離れるなとも言われ……今の都会人が急にこういう状況下におかれると、かなり心細いです。

コロナ禍の世界の宿命的に出た作品

──それは今のコロナ禍の世界に、突如放り出された私たちにも通じるものもあるのでしょうか?

そうですね、2月末の今この作品が日本で公開されるのは面白いと思っています。意味があるのかなと。この作品のテーマは、自分のアイディンティティを探すためのものでもあるのですが、それは理屈であって、タケシは最終的に自分の宿命を受け入れます。自分の宿命を理解し、その場所へ戻る旅です。

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──もしコロナ禍がなければ、この作品に対する観客の印象も変わっていたかもしれませんね。

違った見方になると思います。この時期だからこそ、考えさせられることもあるし、こういうファンダメンタルまたは根源的(?)なテーマの作品というのは、こういった時期だからこそ広まっていく。ただ、今回はプランニングして出したものではなく、宿命的にこのタイミングで日本で発表されることになりました。

柳楽くんとの出会いも宿命的だった

──柳楽優弥さんのキャスティングも、ある種の縁を感じだとか。

はい、柳楽くんとの出会いは宿命でした。今回の映画は1カ月ほどモンゴルで撮影をしたのですが、そもそもロケ地が首都のウランバートルから車で10時間走った先で、撮影が始まると途中で一度日本に戻ることはできません。

柳楽くんは売れっ子の役者です。1カ月もスケジュールが空くことはまずない。その中で「柳楽優弥が1カ月空いているかもしれない」という情報を得ました。これはと思い、すぐパリから日本の事務所にアポを取り、その翌日に飛行機に乗って東京へ行きました。そして日本のプロデューサーと企画書を出し、本人の前で映画のことを説明しました。翌日、「やりたい」と返事をもらえました。

柳楽優弥という俳優の持ち味

──今回の役作りに関して、柳楽さんに何かアドバイスや要求をしたのでしょうか?

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柳楽くんについては、そもそも彼は東京で育ってきた男だから、そのままでいいかなと思っていました。顔も都会的です。彼は、日本にもファンはたくさんいるけど、海外でもハンサムだと分かるビジュアルを持っています。

その国では美男子だけど海外ではその美しさを分かってもらえないとか、その逆もありますが、柳楽くんの場合はそういうのがない。服とか髪型とかは、ユニバーサルなアートディレクションにしたいと思いました。

──モンゴルの草原で1カ月もロケをするというのは、柳楽さんにとっても、慣れないことが多く大変だったんじゃないでしょうか?

撮影中は、柳楽くん含めずっとゲル(モンゴルの伝統的な移動式住居)で寝泊りしました。柳楽くんは動物的なところがあるから、だんだん慣れて、例えば乗馬でも馬からも信頼をもらっていました。彼は乗馬の経験がなかったわけではないけど、モンゴルで乗る馬は半分野生みたいなところがあり、都会で乗る馬とは具合が違います。

映画人にとってのコロナ禍とは

──『ターコイズの空の下で』は、第68回マンハイム・ハイデルベルク国際映画祭でプレミア上映して「才能賞」と「FIPRESCI国際映画批評家連盟賞」を受賞。その後は同年のパリでのキノタヨ映画祭、そして2020年11月のポーランドでのカメリマージュ映画祭にも招待されました。カメリマージュ映画祭はコロナ禍により結果的にオンライン開催となりましたが、今の状況をどう思いますか?

映画を作る人にとって最悪でしょうね。今はストリーミングサイトで見るのが流行になっていますが、『ターコイズの空の下で』はモンゴルの美しい景色を大きなスクリーンでの中堪能できるように8Kで撮りました。

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さらに映画館が閉まることで、公開予定だった作品の公開スケジュールが後ろにずれます。大規模予算の映画で今後の映画館の公開スケジュールが押さえられていく中、この作品のような小さな規模の映画はそれら予算の映画と比べて、どうしても弱いです。

オンライン化した映画祭と映画

──映画祭がオンラインになることで、映画イベントのあり方もずいぶん変わるのではないでしょうか?

プレミア上映をしたマンハイム・ハイデルベルク国際映画祭では700人を入れての上映を何回かしました。そういう中での上映だと観客からの直接のエネルギーをすごく感じるんです。オンラインだと、それを感じづらいことが残念です。

──上映以外の場所での交流も映画祭の醍醐味ですよね。

世界中から集まった、自分と同じ情熱を持っている人に会える、話せる、対談できるというのが映画祭の良いところです。カンヌ国際映画祭なんか行くとまさにそう。普段は忙しくて会えないプロデューサーとかにも、カンヌの町中で会えることがある。コロナ禍を機会に、これからもしオンラインが主流になっていくとしたら、それは寂しいですね。

コロナ禍がもたらしたもの

──しかし、ポストコロナは何か新しいスタンダードを確実に残していきますよね。

このような状況がずっと続くと、案外人に会わなくても生きていけるなと感じてしまうのも事実です。軽薄な社交は削って、より大切な人との繋がりを大事にしようという考え方になるかもしれない。そして、こういう考え方の世代が増えてくれば、特に映画界は社交的ですが、うわべだけのパーティーなども少なくなるかもしれませんね。

──コロナ禍という状況において、映画そして芸術とは私たちにとって何でしょうか?

人間の心に必要なものだと思います。映画、そして芸術とは、どんな人にも必要なものであるとは思いますが、贅沢なものでもあります。余裕がないと作れませんし、触れられません。こういう時代だからこそ、映画そして芸術に触れられる機会がうまく整ってほしいです。

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