松永光弘 私のプロレス生活の下半期ベストバウトです モデルは悪役同士の名勝負

村上の額を凶器で痛めつける松永。鬼気迫る2人の死闘に、試合会場を埋めた観客も凍り付いた

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】ゼロワンMAX参戦で念願のヒールに生まれ変わった松永光弘氏。“悪”ならではの怖さを思う存分発揮できたと胸を張る一戦は、村上和成に敗れたノーロープ有刺鉄線デスマッチだった。

【2006年11月11日 松永光弘VS村上和成】

私がプロレス界で一番やりたかったのはデスマッチですが、それと同じくらいヒール(悪役)がやりたかったのです。

バトラーツ時代に一度ヒールをやることができました。それはそれで楽しかったのですが、反省点もありました。バトラーツは大日本プロレスからのブッキングであったため、大日本プロレスではベビーフェース、バトラーツではヒールでしたが、それが同じプロレス雑誌の同じ号に載ってしまいます。さすがに中途半端だったと思っていました。そしてゼロワンMAXではバトラーツ時代の反省点を生かしました。

古いと言われるかもしれないですが、私は今でもプロレスラーは近寄りがたい怖い存在であってほしいと思っています。私がテレビや雑誌で村上選手を見た時、最近では珍しい怖いレスラーだと思いました。そして、私の中でタッグを組んだり対戦してみたい相手の筆頭になっていました。

全く面識もなく、どんな人物なのかも分かりませんが、かえってそれがいいと思いました。そして実現に動きました。最初はタッグを組みましたが、それまでに何の交流もなく、ただならぬ緊張感がありました。そして仲間割れしての対戦になりました。

プロレス界では、仲の悪い者同士はいい試合になるという噂もあります。事実私のベストバウトのナンバーワンと2位を独占したミスター・ポーゴさんとは、実際に仲が悪かった時間が長かったです。どんな危険なことを仕掛けてくるか分かりませんから、いつも極限の緊張状態でした。普段は仲のいいレスラー同士がリング上でケンカしていても、お客さんにはそれが何となく伝わると私は考えていました。

“平成のテロリスト”村上和成VS“ミスター・デンジャー”松永光弘の対戦は、タイガー・ジェット・シンVSザ・シークをモデルにしました。

片や狂ったように襲いかかり、片や無言で凶器で突き刺す。

大阪府立体育会館第2競技場の満員になったお客さんが、怖くて声も出ない状態になっているさまが、試合をしている我々にとってプロ冥利に尽きると言える試合でした。

村上選手とは以降一度も会っていませんが、彼も私との試合をベストバウトだと言ってくれているとのこと。この試合は、私のプロレス生活の下半期ベストバウトです。

☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

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