三菱重工マラソン部・松村 現役退きコーチ就任「夢の半分は指導者で」【インタビュー】

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「長崎に来て良かった」と現役生活を振り返る松村=長崎市、三菱重工昭和寮

 2014年仁川アジア大会男子マラソンで銀メダルに輝いた三菱重工マラソン部の松村康平(34)が現役を退き、4月からコーチに就任する。14年の東京マラソンで2時間8分9秒を出して、2時間10分切りの「サブテン」をチームで最初に達成。三菱重工はその後、5選手がマラソンを2時間6~8分台で走り、全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)も2位を最高に計4度入賞するなど、全国で戦えるチームへ進化した。その一つのきっかけをつくった功労者に、12年間の現役生活を振り返り、新たな道への意気込みを語ってもらった。

 -現役生活を振り返って。
 大阪出身で大学も山梨。長崎はほぼ縁のない土地だった。そこでマラソンを走れて、日本代表にもなれた。うまくいかないこともあったけれど、充実はしていた。長崎に来て良かった。

 -引退を決めた時期や理由は。
 ここ数年、体が思うように動かなくなってきた。まだできるんじゃないかという期待もあって続けたが、19年ごろ、黒木純監督と話す中で『将来的にスタッフに就きたいなら、今からでも勉強した方がいい』と助言を受けた。チームの今後も考えて、20年3月から選手兼コーチになった。

 -マラソンの2時間10分という壁をチームで最初に破った時のことを。
 マラソンは12年の初マラソンから、思ったよりもとんとん拍子で来ていた。加えて、あの結果を出せたのは、それまでのチーム、先輩たちの積み重ねがあったから。

 -17年にニューイヤー駅伝のチーム初入賞も経験している。
 やっと入賞できて、すごくうれしかった。ようやくチームとして全国で戦えるところまでいけたのかな、と思った。駅伝とマラソンは「地続き」と捉えている。ニューイヤー駅伝をしっかり走って、マラソンに臨むのがうちのスタイル。

 -最も印象に残っているレースは。
 記憶に残っているというより“心残り”なのかもしれないが、アジア大会の「金」まで1秒差の「銀」。いろいろと思うところが一番多いレースだった。競技人生の一つの糧にもなったが。

 -チームの成長とともに歩んだ12年。今の三菱重工をどう見ているか。
 チームとして成長したおかげか、自分が入社したころよりも、みんな目標が高くなった。駅伝も入賞が当然みたいな状況になっていて。一つ一つの目標が上がったので、やっている練習のレベルもだいぶ上がった。

 -コーチとしての目標は。
 マラソン指導に関して、黒木監督の感覚や知識はすごいものがある。まずはそれを勉強して、自分の経験も還元しながら、継続して結果を出せる選手を育てたい。

 -マラソンが「小さいころからの夢」と言っていた。夢はかなったか。
 半分くらいかな。日の丸はつけたけれど、五輪など到達したかったところには届かなかったので。残り半分は指導者として、かなえられたら。

 

【略歴】まつむら・こうへい 大阪府出身。清風高時代は3年連続で全国高校駅伝に出場。山梨学院大に進み、3、4年時に箱根駅伝で1区を務めた。2009年に三菱重工へ加入。14年東京マラソンを日本勢トップとなる2時間8分9秒で走り、同年の仁川アジア大会で銀メダルを獲得した。20年から選手兼コーチ。21年2月末のびわ湖毎日マラソンを最後に現役を引退した。176センチ、59キロ。