石井麻木 - そのときどきでその人の心が写る「写心」であってほしい

写真展の場所が一つのメッセージになっている

──今回の【3.11からの手紙/音の声】は東京と福島と福岡で開催されます。東京の会場は旧杉並区立杉並第四小学校と恵比寿LIQUIDROOM KATA。小学校とライブハウスという場所がすごくいいなと。とても意味がある場所ですよね。

石井:はい。それだけで一つのメッセージになっているんです。

──震災、そしてコロナで「場所」の大切さを多くの人が実感していると思うし。

石井:そうだと思います。今回、会場はすごく考えました。小学校を会場にしたのは、今回の展示でも見てもらえますが、石巻の大川小学校と福島の双葉町の小学校の写真があって。双葉町は帰還困難区域で人がいないんです。小学校の教室の黒板に子どもたちが書いた文字、ランドセルが10年経った今もそのままなんです。今このときもランドセルが散らばったままっていう現実がある。線量が高いから外へ持ち出すこともできない。子どもたちの手に戻ることはない……。そういう小学校の写真を、小学校で見てもらいたかった。それが一つのメッセージになっています。

──ですよね。双葉町の小学校の写真を見たらハッとします。ライブハウスでの展示もやはりコロナでライブが制限されている今だからこそっていう気持ちがありますよね?

石井:あります。今、なかなか音を鳴らせないライブハウスで、「音の声」を一緒に見ていただきたくて。

──やっぱり麻木さんの根本にあるのは現場主義ってことなんでしょうね。

石井:現場主義です、完全にそうです。

──会場に小学校とライブハウスを選んだのも、現場を知ってるからこそだと思うし。

石井:確かにそうですね。今気づきました(笑)。それぞれに合う場所って絶対にあるんですよね。写真や伝えたいものが、そのときの状況によって一番生きる場所がある。

──今回の写真展は、まず場所の大切さを強く感じました。

石井:意味を持って、メッセージを持って、会場を考えて決めたので、そう思っていただけてすごく嬉しいです。

──あと小学校なら子ども、ライブハウスならバンドマンや音楽ファンが来やすいっていう。

石井:そう! そうなんです。今回の展示は今までと違って、東京新聞さんと福島民報社さんとの共催なんです。1年前にお話をいただいてから何度も何度も打ち合わせを重ねて。杉並第四小学校は1年前に廃校になって来年取り壊されてしまうらしいのですが、その間なら使えると。あと杉並区と南相馬市が交流自治体で、それもあって開催させていただけることになって。東京の会場はもともとは某大きな駅と小学校の予定だったんですけど、ライブハウスでもやりたいってお願いして。ライブハウスの支援になる場所でも開催したかったんです。

──杉並区と南相馬市が交流自治体で、写真展の共催が東京新聞と福島民報社っていうのもいいですね。地域のつながりは大事だと思うし、あとカルチャーってその土地と共にあるべきだと思うし。

石井:そう思います。土地土地の地元力というか。今回もそういう地元力がしっかりしているところの人たちが動いてくださっています。

──福島の展示会場はどういう?

石井:道の駅猪苗代と双葉町産業交流センターというところです。双葉町は、まだほんの一部しか入れるところがないんです、帰還困難区域なので。駅前と産業交流センター周辺だけは入れるようになりました。双葉駅の周りがオリンピックの聖火リレーの初日のコースなので、駅前はキレイになっているんです。でも10メートル離れたところは崩れた家々が残っている。全町民さんはいまだに避難を続けられていて、まだ誰も帰れていない町。でもあの日までは多くの人が暮らしていた町。それもあまり知られていない。そういう場所で開催させていただけて、とても意味があると思っていて。

──会場も合わせてメッセージがある写真展。すごくいいです!

石井:ありがとうございます! 場所の大事さをすごく思いました。今回は特に。

生きている実感を持たせてくれたライブハウスに恩返しを

──去年コロナ禍に突入して、麻木さんは4月に動き出したじゃないですか。

石井:はい。4月4日に【SAVE THE LIVEHOUSE】を立ち上げました。

──【SAVE THE LIVEHOUSE】を始めた状況や気持ちはどんなでした?

石井:2月26日にライブハウスを閉めてくださいってなったじゃないですか。私は2月29日の撮影から一旦、2カ月ライブの撮影がなくなって。初めのうちは夏フェスぐらいにはライブはできるかもって思っていたんですけど、3月半ば頃になってだんだんコレは長引くかもしれないって。ライブハウスに何かできないかって思ったんです。ライブハウスはすごい楽しい……、楽しいっていうより生きてる実感を持たせてくれた場所。そんなライブハウスに恩返しができないかって。とにかく今一番必要なのはお金だろうって、お金をお渡しするには何かを売ればいい、そうだ、グッズを作ろう! って思いついちゃった。2、3日でアーティストさんたちに連絡して。こういうことを考えてるんですが、写真を使わせてくださいって。OKをいただいた方からすぐにグッズにしていって。10日後ぐらいで形にして発表しました。

──すごい!

石井:まず形にしたのが、中止になった昨年の3月から始まるはずだった写真展で、【東北ライブハウス大作戦】とのコラボカレンダーを販売しようと思っていたんです。それを【SAVE THE LIVEHOUSE】で使えればいいなって、西片さん(西片明人/東北ライブハウス大作戦・ライプサウンドエンジニア)に連絡したんです。そしたら「すごくいい考えだ。ライブハウスを守るために動いてくれてありがとう」って言葉をもらって。私はその言葉を聞いて泣いてしまったんです。【東北ライブハウス大作戦】を立ち上げた人が「ありがとう」って言ってくれた。私は西片さんの行動に突き動かされてきたけれど、今回は西片さんが私のその行動に突き動かされて、前面に【東北ライブハウス大作戦】と私の写真、背中一面にライブハウスのロゴを入れたコラボTシャツを作って全国のライブハウスを支援するという形で動き出してくれました。そうやってつながっていける、つながっていくんだって。

──うんうん。私、今日、幡ヶ谷再生大学のTシャツを着てるんですが。着てきたぞーってこれ見よがしに(笑)。

石井:すぐわかりました! 格好いいTシャツだなって(笑)。

──前にね、震災の後、TOSHI-LOWさんが、「かつての自分はみんなが同じもの着てるのはダサいと思ってた。でも東北ライブハウス大作戦のTシャツやミサンガは、俺も同じのをつけたいって思った」って言ってたんですよ。私もその気持ちで着てきました(笑)。

石井:わー、そうなんですね。なるほど~。

──で、【SAVE THE LIVEHOUSE】に続いて秋には【スライド写真展ライブハウスツアー2020】をスタートさせました。

石井:10月、11月、12月の3カ月。4月から10月の半年間は、ひたすらグッズを作って、自分で梱包してお礼状を書いて郵便局に何度も何度も通って。半年間続けて、全国のライブハウスに3500万円以上を分配してお届けできました。

──全部一人で?

石井:はい、全部一人で。で、制限はありつつもライブハウスが開けるようになっていくんじゃないかって7月ぐらいに思って。実際にライブハウスでできることはないかって考え始めたんです。7月11日の月命日に福島へ行く道中に、ライブハウスを使って、会場費は全額ライブハウスにお支払いして、それでできることはなんだろう……、コレだ! って【スライド写真展ライブハウスツアー】を思いついてしまった(笑)。スクリーンで写真を映す写真展、初めての試みでした。その場ですぐに、まず福島いわきのclub SONIC iwakiと神戸の太陽と虎に「こんなこと思いついたんですけど」って連絡したんです。そのまま何カ所かのライブハウスに連絡して、皆さん「ぜひ!」って言ってくださった。そこからバーッて動き出して。年内は13カ所廻りました。今まで写真展は入場無料を貫いてきたけど、初めて有料でチケットを出して。全額をライブハウスにお渡ししました。

──麻木さんもガソリン代ぐらいもらいなよー。

石井:いえいえ。ライブハウスはそれだけなくしたくない場所なので。あと【SAVE THE LIVEHOUSE】でグッズを購入していただいた多くの人たちの声も預かっているつもりだったのです。

──もちろんライブハウスを想う気持ちがそういう行動につながっていったんでしょうけど、麻木さんは、去年のインタビューで言ってましたけど、以前もカンボジアに行ってカンボジアの現状を見て、その帰りの飛行機でNPOを作ろうって思いついたんですよね。今回も思いついた(笑)。

石井:そうなんです! カンボジアのときもそうだった。思いついちゃったらすぐやっちゃう性格なんですね。今気づいた(笑)。だってもったいないじゃないですか、悩む時間が。

当たり前のことなんて一つたりとも存在しない

──だんだん麻木さんのことがわかってきたぞ(笑)。もう少し聞いちゃおう。麻木さんは仲間もいるし人と人のつながりを大事にしてますが、意外と一人で行動を起こすんですよね。一人で決めて一人で動く。

石井:そうです、一人です、ずっと一人なんです。意図的にそうしてきたところもあって。会社にも入らなかったりとか事務所も作らなかったりとか。一人だと動きやすい。フットワークが軽いのが一番いいって思ってるし。東北にもすぐ動ける。あとそういう性格でもあるんですよね。やっぱり気づかれてましたね(笑)。

──やっぱりアーティスト気質なんだろうな。写真以外の、グッズの郵送から実務的なこともこなしているけど、それが表現につながっていると思うし。

石井:一人だとできないことも、一人だからできることもあると思っています。

──「表現すること」って根本的に一人ですもんね。自分の心を見つめることから始まる。

石井:そう思います。私は一人だし、アーティストってみんな一人だと思います。それぞれが一人で、一人で考えて、決めて、動いて、そこから始まる。でもね、ただ集団行動が苦手っていうのもあるんです(笑)。子どもの頃から。そのせいかも。でも一人って言われて、ホントそうだなって。

──で、今回の写真展の新たに展示された写真は、多くのバンドのライブ写真とそこにそれぞれメッセージが寄せられていて。

石井:メッセージをお願いすることを考えたのは新聞社さんなんです。私からは思いつかない、思いつかないというか、とてもじゃないけど頼めない。メッセージが入るということは、写真だけじゃなくてもう一つの命が吹き込まれるわけで。特にミュージシャン、アーティストの言葉というのは、それだけで一つの作品ですよね。作品を提供してくださいってことで、そんなおこがましいことを頼めるわけないと思っていました。

──ああ、確かにそうだ。言葉は作品ですよね。やっぱり麻木さん自身もアーティストですね。私はそこまで思いが及ばなかった。でも、メッセージを頼まれたアーティストたちはきっと嬉しかったでしょうね。コロナでライブ活動がままならないときにメッセージの場をもらえたのは、すごく嬉しかったと思う。

石井:皆さん喜んで受けてくださって嬉しかったです。私もメッセージを見たいっていう思いもあったんですけど、気軽には頼めないと思っていて。こうして新たな作品ができて私も本当に嬉しいです。本当に一人一人のメッセージが胸を打つ。

──今回、小学校とライブハウスが会場で、より日常と地続きで、きっと見に来た人は、自分の生活に持って帰れるものを見つけるような、そんな写真展ですよね。あ、もちろん、今までもそうだったけど。

石井:それが一番嬉しい。そうあってほしいです。入場無料でやってるのも、フラッと立ち寄れるような、日常の中の空いた時間に。もちろん、特別な写真展って思ってくださるのはすごく嬉しいんです。ただ、構えずに見に来てもらえればいいなって。もっと目に触れやすい、もっと耳に届きやすいものでありたいってずっと思っているので。

──日常の中でこそ見てほしいっていうのは、日常こそが大事だからで。東北に行ったことで、日常の大切さ、当たり前なことの大切さを、より強く感じているんでしょうね。

石井:震災でもコロナでも、今まで当たり前だったものが全部ひっくり返ったじゃないですか。当たり前の日常だと思っていたものが……。たとえば、「行ってらっしゃい」って朝の挨拶が、最後の挨拶、最後の言葉になってしまった家族とか……。そういう、本当に何気なく言っていた一言、日常の当たり前の言葉、一つも、一つも当たり前じゃなかったんだってことを震災で気づかされて。コロナ禍でも、会うことすら当たり前ではなかったんだって気づかされて。ライブハウスでライブを観ることも当たり前じゃなかったんだって、どんどんどんどん、今までの当たり前が全部……、壊れていって。一つたりとも当たり前なんて存在しないんだって……。

──うん。本当にそうですね。

石井:「行ってきます」って言葉に「行ってらっしゃい」って返せなかった、そのとき、背中を向けてしまっていたお母さんがいて。普段なら顔を見て送ってあげなくても夕方に会えるから。でも、最後になってしまった……。そういう声を聞いてきて……。何気ない言葉、何気ないこと、大事にしなきゃ、もっと大事にしなきゃって。今もこうしてお会いしてお話して、でも次はないかもしれない、全部当たり前じゃないから。だから一個一個を大事にしようって、この10年ずっと思っていて、この1年でさらに思いました……。

──もう、撮るたびに、1枚1枚の大切さを実感している……。

石井:はい。もともと1枚1枚を大事に写していたつもりですけど、さらに大事に写すようになってます。ライブも、これが最後のライブかもしれないって、毎回思いながら写してます。

ただ格好いいだけじゃなく、その人が見える写真を写したい

──うん……。そうだ、麻木さんが撮ったライブの写真って、バシッと格好いいのに、なぜか素顔が見えてくるような写真だなって。

石井:ああ、嬉しいです。それが写したくて。なんか、その人の向こう側というか奥というか。格好いいところを写すのと同時に、「その人」を写したい。ただ格好いい、ただ美しいだけじゃなくて、その人が見える写真を写したいんです。

──だからライブとオフステージと、あと東北にいるときと、限りなく近いというか。たとえばTOSHI-LOWさんでも細美(武士)さんでも、どこにいてもどの写真でも、なんか素顔なんですよ。

石井:嬉しいです。それってきっと「人が写ってる」ってことですよね。

──そうそう。東北の人の写真も同じで。アーティストも東北の人も、同じように素顔に見えるんですよ。

石井:ああ、嬉しいです。私、写真を撮っていて、いや、普段の生活でも、誰かが特別な人だなんて思えなくて。子どももおばあちゃんもアーティストさんも一緒なんです。いや、一人一人は違うんです。それぞれ違う一人一人で、でも一人一人を同じ目線で見てるっていうか。

── 一人一人は違うけど対等っていうか。

石井:そういうことだと思います。TOSHI-LOWさんなんか、東北で仮設住宅に「ただいまー」って入っていって「シャワー貸して」って言ってシャワー浴びて出てきますからね(笑)。

──うははは。

石井:仮設のおかあさんも「いいよいいよ、入っていってー、泊まってくかー」って(笑)。仮設のおかあさんはBRAHMANとかバンドとかもちろん知らなくて。知らなくても目の前で歌を聴いたときボロボロ泣いてらして。泣いて拍手して、最後はスタンディングオベーション。音楽ってホントにすごい。見ず知らずの人の心をこんなにも掴む……。

──音楽を受け渡した人も受け取った人も、おんなじなんですよね。

石井:そう思います。どっちが与えてるとかじゃなくて、両方が与えてるし、両方がもらってるし。私は一方通行のものって絶対にないと思っているので。なんかね、私、動物も植物も鳥もそういう感覚で。生きてるものは一緒っていう。

──あ、今回、空の写真が印象的でした。

石井:あ、今回、空、多いです。子どもの頃から空ばっかり見上げていたんですが、去年と今年はなおさら。コロナ禍で人と会えないことが多かったから空を見上げることが多くて。月命日に毎月ずっと福島に行ってるんですけど、去年は行けない月が何回かあって。行けないのは悲しいけど、今は飛んでいけないけどつながっているんだって、空を見上げて写していました。

──東北の会場や見に来る人たちと他の会場では違いはありますか?

石井:東北では、当事者の方の中には見たくない人もいると思うんです。思い出しちゃう人、フラッシュバックしちゃう人、記憶を自分の心に閉まっておきたい人、消し去りたい人、いろんな人がいると思う。だから決して無理に見ないでくださいっていつも言っているんです。ただ見に来た方が言ってくださるのは、「震災の写真展だと思って構えてきたけど、命や人生を見つめ直すきっかけになる写真展でした」って。そんなふうに言ってくださる方が多くて。私も、震災を写した写真展だけど、命だったり、震災の先にあるものだったりを伝えたいので、届いてるんだって。東北でやるときはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、一番苦しい写真は外しています。

──そういう写真は東京や被災してない地域の人が見なきゃいけない。

石井:そう思います。現地の人じゃない人に見てほしい。実際、今回も福島会場では、より希望を感じられるような写真を選んでいます。

誰も目を向けない東北の日常は今日も続いている

──【3.11からの手紙/音の声】は2012年から続いていて、毎年展示される写真に新たな写真が加わって、震災当時と今がつながっていること、続いていることがわかるのが素晴らしいですが……。

石井:ありがとうございます。

──毎年見に行く人も多いと思います、私もそうです。すると去年と違って見えたりするんですよ。去年見たときは悲しく感じた写真が、今年は勇気が出るような写真に見えたり。

石井:きっとそのときの自分の心、感情、状況によって変わりますよね。

──うん、変わるんですよ。麻木さんの写真を見るのはそれが楽しみでもある。でも自分の作品が見るたびに変わった印象に受け取られたら、イヤだと思う人もいますよね。

石井:私は逆です。毎回違う感想を持ってくれるのはすごく嬉しい。毎回その人の心が写ってほしいし、その人にとっての「写心」であってほしいんです。

──音楽みたいな、曲みたいな感じかも。

石井:あ、そうですね! そうだったらいいなあ。悲しい曲でより悲しい気持ちを見つめたり、逆に励まされたりもするし。激しい曲がやたら美しく響くこともありますもんね。

──実際、展示されているバンドの曲が、延々と流れていて。

石井:選曲をしてシャッフルで流しています。選曲は考えて考えて、すごく楽しいです。

──写真と曲がリンクしてグッときたりゾクッとしたり。あと何かお客さんのエピソードってあります?

石井:昨日、おじいちゃんが、新聞の広告を見て来られたんだと思うんですが、新聞を握りしめて。写真を見てボロボロ泣いていて。「1回じゃ無理だ、また見に来る」って、結局3回見に来てくださった(笑)。そのときかかってた曲のタイトルも聴いて帰られた。とても嬉しかったです。

──写真展は現時点でまだ前半なのにすでに3回! もう1回は来ますね(笑)。

石井:あと、毎年1月に新宿で開催しているんですが、毎年この写真展を1年のスタートにする、「毎年1回、1年のスタートに背筋を伸ばしに来ます」って言ってくださる方もいて。このために他県から来てくださる方もたくさん。本当に嬉しいです。

──10年間、写真展を続けて、お客さんや麻木さん自身にも何か変化を感じますか?

石井:2012年の3月が1回目で次の博多で43会場目。それぞれにやっぱり意味があって。10年、同じ写真に新しい写真が少しずつ加わって、私自身も角度が変わっていって、お客さんもご自身の背景によって変わっていって。去年のインタビューで妙子さんが「毎年写真の中にいる人に会いに来る」って言ってくださったじゃないですか。毎年見に来てくださる方がいて、ここで見たものをご自身の生活に持って帰って、また1年後に来てくれる。本当に「ただいま」「おかえり」、そういう場所になれているんだって実感しています。続けてやってきて、それがとても嬉しくて。もちろん、初めての人も両手を広げて待ってます。そしてその方が来年も来てもらえたら嬉しい。誰もが帰れるような場所でありたいです。

──わかりました。ホント、麻木さん、ありがとうございます! って気持ちです。最後に震災から10年、麻木さんが今思うことを。

石井:10年経って、テレビからも節目とか区切りとかって声が聞こえてくるけど、私はやっぱりそうは思えないんですね。10年っていうのは数字でしかないので、10年と1日、10年と1カ月、11年と1カ月と1週間、そういう、誰も目を向けない、誰も耳を傾けない日でも東北の日常は続いていて、私はそれを見続けたいんです。来年も、再来年も、続いていくっていうことを写し続けたい。その想いを込めたこの写真展を、あの日からの手紙を、皆さんが受け取りに来てくれたら、とてもとても嬉しいです。

石井麻木 / ISHII MAKI

写真家。
東京都生まれ。

写真は写心。
一瞬を永遠に変えてゆく。

毎年個展をひらくほか、詩と写真の連載、CDジャケットや本の表紙、映画のスチール写真、ミュージシャンのライブ写真やアーティスト写真などを手掛ける。

東日本大震災直後から東北に通い続け、現地の状況を写し続けている。2014年、写真とことばで構成された写真本『3.11からの手紙/音の声』を出版。あまりの反響の大きさに全国をまわり写真展の開催を続ける。2017年に同写真本の増補改訂版を出版。収益は全額寄付している。2020年4月、新型コロナウィルスの影響により苦境に立たされている全国のライブハウスを対象にライブハウス緊急支援【SAVE THE LIVEHOUSE】を発足し、支援を続けている。

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