25日開催の日韓戦「ドラマと因縁の歴史」かつては指揮官の進退問題に発展したことも

韓国戦で代表デビューした中田。右はカズ(97年5月21日)

【西川結城のアドバンテージ(26)】親善試合としては10年ぶりに日韓戦(25日、日産スタジアム)が開催される。新型コロナウイルス禍により日本、韓国ともカタールW杯アジア2次予選の日程延期を余儀なくされる中で決まったライバル対決。言わずと知れた、過去にもあまたの因縁が絡み合った熱戦カードである。

直近対決は2019年12月の東アジアE―1選手権。日本が0―1で惜敗した。会場となった韓国・釜山で大韓サッカー協会の洪明甫専務理事(現蔚山現代監督)に話を聞くと「現役、代表監督時代と韓日戦を経験した。特別な記憶」と話していた。

日本にとっては痛恨の、韓国にとっては会心の記憶として残っているのが、1997年9月、東京・国立競技場でのフランスW杯アジア最終予選。日本が先制を果たすも、終盤の連続失点で敗北する衝撃の結末だった。あの試合で韓国の守備のリーダーだったのが洪明甫だった。反対に同年11月に韓国・ソウルで行われた対戦では欠場していた。日本は敵地で2―0の勝利。リベンジを果たしたが「大黒柱(洪明甫)が不在だったから関係ない」といった声が韓国内では飛び交うなど、日本にとっても完勝とは言えない試合後感も残った。

公式戦だけでなく、今回のように親善試合でも熱戦を繰り広げてきた。あの中田英寿氏が代表デビューを飾ったのも日韓戦(97年5月)。それまでは日本がフィジカル面で相手の後手に回るのが当たり前の光景だったが、20歳の司令塔がいきなり韓国DFをデュエルで吹き飛ばし、前線のカズ(三浦知良)に鋭いスルーパスを出したプレーはインパクト大だった。

また、両国のライバル心情が過熱するあまり、指揮官にとっては“進退”がかかる試合になることもあった。00年4月のソウルでの対決では、韓国の許丁茂監督が負ければ更迭が濃厚な中、それまでの若手路線の起用法から一転し、日本を倒すためになりふり構わずベテラン勢を招集。日本は30代MF河錫舟の左足ミドル一発に沈んだ。日本では10年5月、南アフリカW杯直前というリスクのあるタイミングでの日韓戦で敗れ、岡田武史監督が進退伺を出すまでに。また17年12月の東アジアE―1選手権(日本)で日本が1―4の大敗を喫したことが、後のバヒド・ハリルホジッチ監督解任の起因になった。

両国、悲喜こもごもの日韓戦。昨年大ヒットした韓国ドラマ「愛の不時着」でも、ソウルに潜入した北朝鮮将校たちが韓国人と日韓戦を観戦し歓喜するシーンが描かれていた。今回コロナ禍でベストチームを組めるか不透明だが、韓国はこの特別な一戦に感情をぶつけてくるはず。当然、森保ジャパンにとっても今後のチームづくりだけにとどまらず、プライドもかけた“負けられない戦い”がここにある。

☆にしかわ・ゆうき 1981年生まれ。明治大卒。専門紙「EL GOLAZO」で名古屋を中心に本田圭佑らを取材。雑誌「Number」(文藝春秋)などに寄稿し、主な著書に「日本サッカー 頂点への道」(さくら舎)がある。

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