【プロレス蔵出し写真館】和田京平レフェリーが受難! 鶴田にボディスラムを叩き込まれ、試合後には馬場さんから説教

鶴田のボディスラムを食らう和田レフェリー(87年10月、日本武道館)

「息が詰まったよ」。全日本プロレス名誉レフェリーの和田京平はそう述懐する。ジャンボ鶴田に軽々とかかえられボディスラムを食らったのだ。

マットに叩きつけられた和田レフェリーはしばらく立ち上がれなかった―ー。

レフェリーも受け身の練習はやっているようだが、高身長の鶴田に投げられては、たまったものではないだろう。

これは、今から33年前の昭和62年(1987年)10月6日、東京・日本武道館で行われた全日本プロレスの頂上決戦、鶴田VS天龍源一郎戦でのひとコマ。

この年、長州力らジャパンプロレス勢が全日プロから新日本プロレスにUターンしたことで、その後の全日プロに危機感を抱いた天龍が決起して、6月に阿修羅原と「天龍同盟」結成した。天龍は地方の試合でも手を抜かない姿勢が評価され全日本マットは活性化していった。そして、鶴田との〝鶴龍対決〟8・31の第1ラウンドは天龍がリングアウトで先勝した。

この日の第2ラウンドは、序盤から鶴田が押す展開となったが、天龍もジャーマンスープレックス、鶴田の首がグニャリと曲がる危険なパワーボムで反撃。

エキサイトした鶴田は、コーナーにもたれかかる天龍を蹴りまくる。和田レフェリーは止めに入ったのだが突き飛ばされ、なおも制止に入ると「うるさい!」とばかりに、鶴田からボディスラムの被害をこうむった。試合は当然、レフェリー暴行で鶴田の反則負けだ。

が、しかし和田レフェリーの受難はこれだけではなかった。

和田レフェリーはボディスラムを食らう前、場外カウントを数え間違え、リングアウトでいったん天龍の勝利をコールしていた(勝者はどちらにしても天龍だが…)。セコンド陣がリングに上がり、抗議して試合が再開されていたのだ。

「あいまいな判定はするな」ジャイアント馬場からキツくお叱りを受けたという。

とはいえ、和田レフェリーは東京スポーツ新聞社が制定する「プロレス大賞」でレフェリーとして唯一の受賞者で(’86年度プロレス大賞で優秀レフェリー賞を受賞)、昭和&平成を代表する名レフェリーだ。

レフェリングの姿勢は厳格で、反則をしたレスラー相手に一歩も引かずやり合う場面も見どころの一つで、あまりの剣幕にレスラーの方がひるんでしまうことも…(鈴木みのるは例外のようだが)。

現在も、男女問わず様々な団体でレフェリーを務めている和田レフェリー。さすがに現在、ボディスラムで投げる不届き者はいないだろう(敬称略)。

© 株式会社東京スポーツ新聞社