【The インタビュー~本音を激白~(22)】日本サッカー界をけん引してきた偉大な「背番号14」が現役生活に幕を下ろした。川崎一筋18年、酸いも甘いも経験した元日本代表MF中村憲剛氏(40)。多くのファンはもちろん、選手仲間や指導者たちからも愛されたレジェンドは、ピッチを離れた今、いったい何を思うのか。本紙連載「The インタビュー」第22回、引退を決意するまでの思いや日本代表での意外な悩み、そしてあの名将を模範とする将来の理想の指導者像まで語ってくれた。
――現役生活、本当にお疲れさまでした
中村氏(以下中村)最初に引退についてぼんやり考えたのは30歳になったとき。やはり一つの区切りでしたから。そこで妻と話をして「35歳まではやってみよう」となりました。そして、35歳になったらチームも個人もまだまだ伸びしろがあったので次は「40歳までいこう」と。
――パフォーマンスは年齢を重ねて上がった
中村 2016年に個人で年間MVPに選んでいただき、17年に初のリーグ制覇。18年に連覇もできた。正直、これでいつでも辞められると。それだけフロンターレにタイトルをもたらすのが自分の悲願だったし、その重荷をやっと下ろせたので、これならいつ自分のタイミングで辞めても、誰も文句言わないだろうなと思っていました。
――19年11月に左膝前十字靱帯損傷。引退する考えはなかったか
中村 1ミリ、いや1ミクロンも考えなかったですね。ケガした試合が引退試合になるのも嫌でした。タイトルを取って40歳で辞めるというのがどんどん固まっていった中で、あのケガ。「あ、そういうことなんだ」と思いました。それまで経験してこなかった長期間のつらいリハビリも経験した上で、J1のピッチに戻らなければならないと。なので復帰できた時は、これで未練なく辞められると考えていました。
――存在感は日本代表でも発揮された
中村 06年にイビチャ・オシム監督から代表に呼んでもらったことは誇りです。選ばれたことで自分のサッカー人生の過程を肯定してもらえたし、その後のキャリアのベースをつくってくれた。感謝してもしきれないほどの恩人です。それまで、自分は「日本代表」において劣等感というか、コンプレックスがありましたから。
――それは意外だ
中村 年代別の代表に入ったこともなかったし、大卒だし、プロ入りした時はJ2でした。周りはみんな若いころから代表で、有名な選手ばかり。そんな自分をオシムさんが抜てきしてくれたのは自信になりました。
――オシムさんは「勝負どころを見極める力」を高く評価していた
中村 あのころの代表選手はみんなそういう力を持っていて、タフだった。それは小・中・高、そして大学でも、今ほどサッカーを“教わりすぎていない”というのがあったからかもしれません。当時はケータイもないし、今みたいにネットですぐに映像が見られるわけでもない。逆にそれが大きかった。より自分で考えないとうまくいかない時代でしたから。
――環境の違いだ
中村 今はうまくいくための方法論を、指導者も子供もすぐに見てしまう。見れてしまうと言ったほうが正しいかも。だから考えなくても済んでしまうんです。だから試行錯誤をすることもない。試合中の解決能力が高くないし、若い人の打開力、柔軟性の乏しさを少し感じてしまう。自分の若いころは情報がなかったし、想定外のことばかり起こるから、窮地に立たされた時の力は身についていたと思います。
――今の環境で「第2の憲剛」は育ちにくい
中村 最近は子供を指導する機会も多いので育成の面白さを感じていますが、同時に危険性も感じています。「僕が言ったことがすべて」になってしまうかもしれない。
――どういう接し方がいいのか
中村「あれをやれ、これをやれ」と言わないようにしています。「こうしたほうがいいんじゃない?」とか「こういう選択肢はなかった?」といった感じで、強制はしない。それはオシムさんにやってもらったこと。子供に対し、勝てる要素を仕込めばある程度は勝てるでしょう。でも、それでは何も残らないし、最終的な勝利には結びつかない。個人戦術眼というか、個人が大事にしてほしい部分を伸ばして、将来的にどこのチームに行っても活躍できるベースをつくってあげたい。
――早く「中村憲剛監督」を見てみたい
中村 だからこそ、今は勉強が大事。現役の時はプレーしながらアップデートできたけど、今は試合や練習を見ることでしかできない。オシムさんだって毎日サッカーを見ていたし、指導者がサッカーを知らないと選手はついてこない。指導者ライセンスは取りに行っていますが、必ず監督になるという強い思いは正直なところ、今はまだありません。いろいろなことをやってみて「見る側」の力をつけていきたいと思っています。
【川崎FROに就任】昨季限りで現役を引退した中村氏はJ1川崎の「フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)」に就任。川崎のアカデミーや普及・育成部門での活動を中心にしながら、さまざまなクラブの活動に取り組んでいくという。中村氏は「クラブがうまく回るように、人と人、人と会社、会社をつなげ、幅広い活動をしていきたい」と話していた。11日には東日本大震災復興支援活動の一環として、クラブスタッフとともに溝の口駅前で街頭募金を実施するなど、今後も積極的に参加していくという。
☆なかむら・けんご 1980年10月31日生まれ。東京・小平市出身。中央大を経て、2003年に川崎入り。06年に日本代表に初選出された。10年南アフリカ、14年ブラジルW杯に出場。16年に史上最年長の36歳でリーグMVPを獲得し、17、18、20年のリーグ制覇に貢献。リーグ通算546試合83得点(J2含む)。日本代表通算68試合6得点。家族は加奈子夫人と1男2女。175センチ、66キロ。