長崎の鮮魚をフレンチで シェフに理解してもらう喜び 元実業家ワタナベさん自伝

「長崎にもいい店がある。まずは安いランチから出掛けてみて」と話すワタナベさん=長崎市内

 長崎市で全国の有名西洋料理店に水産物を加工販売する会社を創業するなどした同市の元実業家、ケン・ジェームス・ワタナベさん(72)=本名・渡辺顕一朗さん=が、自伝「情熱のフランス料理 アルチザンからアーティストへ!」(長崎文献社、1980円)を出版した。半生を振り返り、料理への愛情で結んだ有名シェフたちとの交流などをつづっている。

 ワタナベさんは同市生まれ。高校卒業後に米国占領下の沖縄に渡り、外国人バーなどで演奏。1971年、23歳で長崎に戻り会社員に。77年、結婚したフランス人の妻を通じて、フランス料理界をけん引する一流シェフ、パトリック・テリアン氏と出会ったことが、人生の転機になった。
 来崎したテリアン氏が1週間自宅に滞在した際、毎日振る舞ってくれた手料理に感銘を受けた。「普段食べている魚が、フランスの味に変化する過程を目の当たりにし、まったく違う味わいをもたらすことに興味がわいた」(同著)
 長崎港で水揚げされる魚種を調べると、フランス料理に適する物が多いことが分かった。フレンチに長崎の魚をもっと使ってもらいたいという思いが募り、81年、西洋料理向け水産食材の卸会社「イメックス」を起業した。
 早朝に魚市で買い付けた鮮魚を加工して長崎空港から関東や関西のレストランへ送り、その日のディナーで使ってもらう。当時としては画期的な産地直送の物流システムを構築し、ピーク時は約300社と取り引きを結んだ。
 「料理が分からない人(業者)はシェフたちと対等に話ができない」と、フランス料理の哲学を独学。シェフが求めるもの、どんな料理が流行っているのかなどを、多い日には1日4食もレストランを食べ歩いて調査。難しい注文にも対応し、シェフたちの信頼を集めた。
 「長崎の魚は鮮度や魚種の豊富さなどシェフたちの評価が高い。『他にはないのか』とリクエストをもらって、使えそうな魚を市場で選んで納品して、の繰り返し。楽しかった」と振り返る。
 会社は順調に規模を拡大し、東京にも営業所を構えた。自身は2010年に同社を退き、11年に長崎市でレストランを開業。人気店となったが16年に交通事故に遭い休店、店は売却した。イメックスは18年にフランス食材輸入商社アルカンと統合した。
 同著では第1部でワタナベさんの活動を紹介し、第2部「フレンチ黎明(れいめい)期のシェフたち」では、親交のある有名シェフ9人の来歴や料理を掲載。ワタナベさんは「一人で仕事をしていたわけではない。仲間と協力しながらシェフたちに理解してもらう喜びがあった。この本をフランス料理に興味のある人、たずさわる料理人に読んでもらいたい」と話している。

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