急死・古賀稔彦さん「自宅で亡くなった」 輝かしい実績と柔道界への貢献

急死した古賀稔彦さん

1992年バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダリストの古賀稔彦氏が24日朝、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなったと、柔道関係者が明かした。53歳だった。

「平成の三四郎」と呼ばれた古賀氏は1967年11月21日生まれで佐賀県出身。中学1年で柔道私塾の講道学舎に入門した。豪快な背負い投げを武器に活躍し、世界選手権に3度優勝、バルセロナ五輪金、96年アトランタ五輪銀と2大会連続のメダルを獲得した。

日本選手団の主将を務めたバルセロナ五輪では、大会前に吉田秀彦との乱取り中に左ヒザを負傷。出場すらも危ぶまれる中、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得し、日本に勇気と感動をもたらした。

90年4月には無差別で争われる全日本選手権にも出場。主に100キロ級や100キロ超級の選手が戦う中、軽量級選手の参戦は異例だった。古賀氏は大きなハンディを抱えながらもなんと決勝まで勝ち進み、前年の世界選手権で95キロ級&無差別級を制した小川直也と対戦。敗れたものの、善戦したことで当時は大きな話題となった。

2000年に現役を引退し、指導者に転身。03年には神奈川県に「古賀塾」を開き、子供たちを指導した。07年からは環太平洋大学の柔道部総監督に就任した。

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