「真の教育者だった」環太平洋大で同僚の元レスリング五輪代表・嘉戸洋氏が古賀さんの死悼む

指導者としても一流だった古賀さん

1992年バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダリストで“平成の三四郎”と呼ばれた古賀稔彦さんが24日、亡くなった。53歳だった。古賀さんとともに、環太平洋大で女子格闘技を盛り上げてきた同大准教授で96年アトランタ五輪レスリンググレコローマン48キロ級7位の嘉戸洋氏(49)は、古賀さんについて「真の教育者だった」と振り返った。

古賀さんは2007年、岡山に開学した環太平洋大の女子柔道部総監督に就任。同時に嘉戸氏は女子レスリング部監督に就任した。古賀さんの奮闘ぶりについて嘉戸氏は「柔道が強い、一本背負いがすごいと言われていますが、それ以上に真の教育者でした。学生をどう人間として成長させるか、人間教育に重きを置いていた。厳しいだけじゃなくて、指導に愛情がある。見習う存在だった」と回想した。

ともにアトランタ五輪に参加し、現役時代から親交があった両者。「現役の時、古賀さんは『試合が待ち遠しくて仕方がない』と言っていた。これだけ練習してきたのだから早く実戦で試したい、と。すごく共感しました」。同じ大学で指導する立場になってからは、強化、教育を語り合った。古賀さんは「普段の生き方が競技に出る」という信念を持ち、生活面での細かなところまで指導を徹底していたという。朝練習を合同で実施し、女子格闘技同士で切磋琢磨。互いに世界に通用する選手を育てた。しかし、昨年病が発覚した古賀さんは、岡山での指導から遠ざかっていた。

女子レスリング部は今年3月で活動を終了。同大体育学科副学科長として今後も学生を指導する嘉戸氏は「まだまだ活躍してもらいたかった。もったいない。学生に伝えきれていないことがまだあったと思う」と、あまりに早い古賀さんとの別れに言葉を詰まらせた。

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