最期まで三四郎の矜持貫いた古賀稔彦さん〝闘魂秘話〟病床で猪木氏の体調を気遣う

最期まで三四郎であり続けた古賀稔彦さん

〝平成の三四郎〟の突然の死に、日本中が悲しみに包まれている。柔道のバルセロナ五輪男子71キロ級金メダリスト、古賀稔彦さんが24日朝に死去。53歳だった。マネジメント会社は死因をがんと発表した。豪快な背負い投げと天才的な勝負勘で世界を制圧。重量級にも戦いを挑み、〝柔よく剛を制す〟を地で行く「柔道界のカリスマ」として活躍した。昨年から闘病生活を続けていたが、最期まで「三四郎」の矜持を貫いた。国民的英雄の死をいたみ、〝闘魂秘話〟を追悼公開――。

カリスマの死が柔道界に与えた衝撃は大きい。古賀さんとは柔道私塾「講道学舎」時代から切磋琢磨してきた、バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルの吉田秀彦氏(51=パーク24総監督)は「信じられない気持ちでいっぱいです。最後まで奇跡を信じていましたが、かないませんでした」との悲痛なコメントを発表した。吉田氏は古賀さんと兄弟のような間柄だっただけに、亡くなった日も遺体に付き添い、弔問客に対応していたという。

古賀さんと親しい関係者によると、昨年にがんの手術を受けて静養していた。その際には周囲が気を使わないように「オレ、がんになっちゃったよ」と明るく語っていたという。手術後の昨年夏には大好きなお酒も飲み始め、知人には手術痕を見せるなど、前向きに治療を続けたおかげで一度は快方に向かった。

ただ古賀さん自身が「完璧主義者なので」(同関係者)、現状に満足しなかったと言い、各種の抗がん剤を試すなどしてしていたが、がんが転移。今年に入って腹水がたまるなど、症状が悪化していったという。これを機に自宅で療養して人と会わなくなった。だが体調は戻らず、24日午前9時9分に亡くなった。

1990年の全日本選手権決勝で古賀さんと戦った、バルセロナ五輪95キロ超級銀メダルの〝元暴走王〟小川直也氏(52)は関係者から古賀さんが闘病中と聞き、2月にLINEで連絡を取った。「病気の状況とか自分から言ってくれた」と話し込んだというが、古賀さんから意外なことを伝えられた。

古賀さんががんの手術を終えた後、静岡県内で療養していた際にカフェで赤いマフラーをした巨体を見かけた。近寄ってあいさつすると「頑張っていますか!」と元気づけてくれたという。その人こそ、小川氏の師匠でプロレス界の総帥、〝燃える闘魂〟アントニオ猪木氏(78)だった。「お前の先生にあいさつしたよと言われてね…」(小川氏)

その猪木氏も現在、闘病中。今月1日には復活を目指し、懸命にリハビリに取り組む姿をSNSで公開して、大きな反響を呼んだ。小川氏によれば「猪木さんの闘病のことがあって、気になって(古賀さんに)連絡を入れたんだけど…彼も猪木さんのリハビリ風景をネットで見たらしい。『猪木さんもいろいろあって大変だと思う』と返ってきたよ」と、病床の古賀さんは逆に猪木氏の体調を心配していたという。

小川氏は「きっと『オレは大丈夫だから』と伝えたかったんだと思う。最後となった会話で『お見舞いに行きたい』と告げたら『お前に見せられる体じゃない。良くなったらね』と言われた。弱いところを見せたくなかったのかな。最後まで『強い稔彦』でいたかったんだろうね。まさかこんなに早く亡くなるとは…本当に残念です」と声を落とした。

古賀さんは最期まで〝平成の三四郎〟であり続けた。ストイックに柔道一筋で生きた、まさに伝説の男だった。

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