【古賀稔彦さん三四郎伝説】日本中を熱狂させた〝ミラクル金メダル〟の舞台裏

バルセロナ五輪で金メダルを獲得した古賀さん。左は師匠の吉村和郎氏

柔道のバルセロナ五輪男子71キロ級金メダルで〝平成の三四郎〟こと古賀稔彦氏が24日に死去(享年53)。日本中が驚きと悲しみに包まれいるが、全日本柔道連盟の元強化委員長で、柔道私塾「講道学舎」時代から古賀さんを指導してきた師匠の吉村和郎氏(69)は2011年7月に本紙で「金メダリストのつくりかた」を連載。当時のインタビューから「三四郎伝説」を3回にわたって振り返る。

【五輪前のケガ】

古賀さんは1992年バルセロナ五輪で大ケガを負いながらも金メダルを獲得したことが感動を呼んだが、吉村氏によると、こういう経緯だった。

「五輪前に実業団の試合に出た(同五輪78キロ級代表で弟分の)吉田秀彦が足を痛めてまともに練習できず、焦っとったんや。で、『古賀先輩と練習やらせてください』と言うので許可したら、稔彦が左ヒザの靭帯断裂よ。患部を冷やそうと思ったんだろう。ポリバケツの中に氷を入れて足を突っ込んだら、あいつ、冷やしすぎて腓骨神経麻痺になりやがった。『先生! 親指にまで力が入りません!』と」

全治3か月と診断された。それから吉村氏は短期間で何とかしようと必死で駆けずりまわった。ありとあらゆる治療をやった。痛み止めの注射はもちろん、電気治療や針、さらには心霊療法まで施したという。

「計量はオレが自転車に稔彦を乗せていった。試合当日、痛み止めの注射を打ってもらったら、5分後に走り始めたんよ。結果、金メダル。試合後、オレが『きつかったろ』と聞いたら、あいつ『最悪の時にどう勝つかしか考えていませんでした』と言う。大したもんだな、と思ったよ。ただ、実はこのとき、ヒザだけではなく、胃潰瘍もひどかったんだ」

日本中を熱狂させた〝ミラクル金メダル〟も、古賀さんにとっては奇跡でもなんでもなかったのかもしれない。

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