東京五輪で活躍、ユース五輪「金」1号の使命 トライアスロン女子の佐藤優香 アスリートは語る

 トライアスロン女子日本代表として2016年リオデジャネイロ五輪で日本勢最高の15位になった29歳の佐藤優香(トーシンパートナーズ・NTT東日本・NTT西日本・チームケンズ)は、今夏の東京五輪へ「手放せないもの。活躍することが自分の使命」と口にする。開催が不透明な状況でも揺るぎない決意を聞いた。(共同通信=伊藤貴生)

トライアスロン日本選手権のバイクで力走する佐藤優香(手前)=2017年10月、お台場海浜公園

 ▽五輪招致でプレゼン登壇も

 ―開幕まで半年を切った東京五輪への思いは。

 私にとって東京五輪は手放せないものです。それだけの強い思いがある。2010年の第1回ユース五輪(シンガポール)で大会第1号の金メダルを獲得できたことで、東京招致が決まった2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ブエノスアイレス)で登壇する機会に恵まれました。首相やオリンピアンの方と迎えた決定の瞬間は感動で涙が出ました。わずかな力でも招致につながったのであればうれしい。あの舞台に立てたことで、東京五輪で活躍することが自分の使命だと感じてきました。

 ―新型コロナウイルスの影響で五輪開催には予断を許さない状況が続く。

 延期になったのはショックでしたが、開催されることを信じています。モチベーションは変わらずに高い意識のまま日々を過ごせています。

IOC総会での東京のプレゼンテーションで紹介されるトライアスロン女子の佐藤優香選手=2013年9月、ブエノスアイレス(共同)

 ▽リオ五輪後は甲状腺機能低下症に

 ―リオ五輪後は体調不良でパフォーマンスが発揮できない時期があった。

 体調を崩し、疲労がたまって回復に時間を費やすことが多かった。自分の体ではないような感じがする時期がありました。19年春に甲状腺機能低下症と分かり、その後に副腎機能の低下も判明しました。レースに出場してもリタイアすることが増えました。

 ―どう向き合い、乗り越えたか。

 薬で対応し、長芋とかねばねばしたものを取るように食べるものにより気を使うようになりました。チームの飯島健二郎監督が慎重に体調を見てくれたのが一番大きかった。思うように練習ができなくても前向きでいてくれ、励ましてくれた。監督の支えで日々をいかに無理なく過ごすかを大事にして回復していった。うまくいかなかった時期があった分、練習ができるありがたみを感じています。

 ―以前の感覚を取り戻した段階か、新しい感覚をつかんできたのか。

 体調が改善して、今までにできなかったことも淡々とできるようになりました。練習でも今までにないパフォーマンスを見せられるようにもなっています。新しい、いろんな感覚を味わえるようになって、五輪を目指すにふさわしい練習が今はできています。

トライアスロン横浜大会に出場した佐藤優香のラン=2019年5月、横浜市

 ▽練習は1日5時間の時も

 ―現在の練習状況は。

  昨年12月から沖縄で合宿中です。3月いっぱいまで続ける予定です。地元の方の理解のおかげで、拠点の山梨にいる時と同じように力を積み上げられています。朝に2時間、泳いで、午後にバイクとラン。多い時は5時間ぐらい練習しています。4月のレース出場に向けて実戦を想定した練習をしています。日本代表の選考対象レースは未定ですが、どの大会でも対応できるように準備していきたい。

 ―東京五輪ではどんなレースをしたいか。

 人々の勇気や力になれたらいいなと思います。五輪に向かう道筋や懸命に臨む姿勢を感じてもらって、後輩に思いを託せるように頑張りたい。

 ▽平和な世の中で集まれるのがベスト

 ―コロナ禍の難局で、どんな五輪になることを期待しているか。

 五輪は日本だけでなく、世界が平和な世の中に戻って全世界の人が集まってくれるのがベストだと考えています。新型コロナウイルスに対するワクチンの接種が始まりました。安全に開催されることを願っていますし、そのためなら接種も検討したいと思います。

リオデジャネイロ五輪トライアスロン女子で、15位でゴールした佐藤優香=2016年8月(共同)

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 佐藤 優香(さとう・ゆか) 9歳でトライアスロンを始めた。16年リオデジャネイロ五輪で日本勢最高の15位。14、17年日本選手権優勝。東京・日本橋女学館高出。トーシンパートナーズ・NTT東日本・NTT西日本・チームケンズ所属。172センチ、56キロ。29歳。千葉県出身。

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