<金口木舌>古賀氏の背中から学ぶこと

 1991年11月に県総合運動公園で催された日本体育大学研究発表会。スポットライトを浴び、威風堂々としたたたずまいで登場したのは柔道家の古賀稔彦氏▼重量級の選手たちを切れ味の鋭い背負い投げで畳にたたきつける。前年の全日本選手権で中量級でありながら決勝まで進んだ「平成の三四郎」は会場をのみ込んだ

▼古賀氏が53歳の若さで亡くなった。左膝を負傷しながら金メダルを獲得した92年のバルセロナ五輪の伝説は永遠に語り継がれるだろう

▼一流の選手が一流の指導者になるとは限らないが、古賀氏は五輪金メダリストも育て上げた。東建コーポレーションの「柔道チャンネル」のウェブサイトに掲載されているインタビューで古賀氏は「主役はあくまで選手ですから、選手をその日までにできる限り最高の状況・状態にしてあげられるかどうかが、指導・サポートしている自分の役目」と語っている

▼全国的に問題になっていた部活動での「指導死」が県内でも明らかになった。スポーツを楽しむことは脇に置かれ、勝利至上主義に傾倒するあまり威圧的な指導が常態化していた

▼主宰する「古賀塾」では、勝つことだけでなく、それぞれの子が何を求めているかを見極め、声を掛けていたという古賀氏。その背中は強くて優しかった。不世出の柔道家でありながら、指導者像を示した古賀氏の功績は大きい。

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