豊後水道と紀伊水道が鉢合わせするため、古くから「潮待ちの港」として栄えたのが福山市の鞆の浦です。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」や、スタジオジブリ作品「崖の上のポニョ」などでもよく知られるようになった鞆は、国際交流の場でもありました。
鞆町にある福禅寺対潮楼では、2021年3月末まで朝鮮通信使人形展が開催されています。
日本一と絶賛された景色と、歴史のロマンを感じさせる人形を見に出かけてみませんか。
朝鮮通信使行列人形展とは
朝鮮通信使行列人形展とは、例年鞆で春に開かれる「鞆・町並ひな祭」の時期にあわせて、対潮楼で行われているイベントです。
2021年の町並ひな祭は中止となりましたが、人形展は開催されています。
ただし、新型コロナウイルス感染症拡大防止の意味もあり、人形の数をおよそ3分の2ほどにしての展示だそうです。
朝鮮通信使と鞆
朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代に朝鮮国が日本に派遣した外交使節団です。
江戸時代には合計12回、派遣された記録が残っています。
通信使一行は総勢およそ500人で、対馬藩の護衛500人が付き添っていました。
旅は往復1年近くにおよび、道中では両国の学術や芸術、産業や文化などの活発な交流が行われたと伝えられています。
江戸への移動の途中、通信使一行は「潮待ちの港」である鞆の浦にも立ち寄ります。
朝鮮通信使をもてなすのは、福山藩にとって大変な名誉でした。
使節団の宿泊には寺院や商家などが使われ、福山藩は料理人や給仕など約1,000人を動員したといわれています。
使節団の上官の迎賓館として福山藩が建てたのが、福禅寺の楼(ろう)です。
1711年、楼からの眺めに感動した従事官が「日東第一形勝」(日本一で一番景色がよい)との言葉を残したことによって、鞆は通信使たちの憧れの場所となりました。
また1748年の正使により、この客殿に「対潮楼」の名がつけられたのです。
「よみがえる朝鮮通信使」イベントの開催
2011年11月、鞆で江戸時代の朝鮮通信使行列のようすを再現したイベントが開催されました。
福山市長と駐広島韓国総領事が対潮楼で「国書」を交わし、日韓交流の発展を誓い合ったのです。
このイベント開催の頃から、朝鮮通信使一行の人形を作り続けているのは、朝鮮通信使とゆかりの深い長崎県の対馬に住む、月見一博(つきみ かずひろ)さんです。
およそ10センチメートルほどの人形は、一つひとつ和紙でていねいに作られています。
通信使が愛した福禅寺にと、時間をかけてコツコツと作られた人形を、何回にも分けて送り届けてくれているそうです。
対潮楼からの眺め
人形とともに、日本一とうたわれた景色も見ることができます。
窓枠を額縁に見立てると、まるで1枚の絵のようです。
正面の多宝塔のある島が弁天島で、水の神様である弁財天を祭っています。
右にある亀のような島が皇后島、後方の大きな島が仙酔島です。
景色に魅せられて仙人が舞い降りたと伝えられています。
時折姿を現すのは、鞆の浦と仙酔島とを結ぶ渡船「平成いろは丸」です。
これは鞆の浦沖に沈んだ坂本龍馬らの蒸気船「いろは丸」を模して造られています。鞆の浦は、坂本龍馬ゆかりの地でもあるのです。
古刹、福禅寺
対潮楼のある福禅寺の歴史は平安時代にさかのぼります。
第六十二代村上天皇のお后(きさき)になられた明子姫は、備後赤坂村の庄屋の娘でした。
姫の里に近く、絶景の鞆の地を選び、村上天皇が空也上人(くうやしょうにん)に銘じて創建されたのが、この福禅寺です。
欄間の菊の御紋が、天皇家とのえにしを語っています。
おわりに
かつては瀬戸内の交通の要所であり、国際商業都市として賑わった鞆の浦には、さまざまな歴史の足跡が残されています。
朝鮮通信使行列人形と日本一の景色、坂本龍馬の残した息吹などを見に来てはいかがでしょうか。