〈任期満了に伴う28日投開票の諫早市長選で、現職と新人の2人を退け、12年ぶりに県央都市のトップ交代を果たした。選挙戦や今後の抱負などを聞いた〉
-激しい三つどもえの戦いだった。現職を破って初当選した。
かなり接戦だった。市民の期待と負託に応えられるよう、先頭に立って、郷土を“オール諫早”で盛り上げたいという決意に満ちている。「市政を変えてほしい」という市民の気持ちの表れではないか。(変化を求める市民の)受け皿になることができたと考える。
-今後4年間の抱負は。諫早をどのような町にしようと考えているか。
私が描く諫早の近未来像である「来てよし、住んでよし、育ててよし あなたのまち諫早」をつくるため、チャレンジと連携の姿勢を重要視して、(さまざまなことに)果敢に取り組みたい。
-「来てよし、住んでよし、育ててよしのまち」というまちとは。
「来てよし」とは「ちょっと諫早に行ってくっけん」という風に、食事や買い物、スポーツ観戦、文化や芸術の鑑賞、商談や展示会などの用事をつくり、諫早に来てもらえる働き掛けをしたい。
「住んでよし」とは、都市計画の見直しと市街化調整区域の線引き撤廃へチャレンジしたい。子育て世代が快適に暮らせる住環境の提供と子育て支援策などを充実させる。
「育ててよし」とは、子どもの才能や個性を伸ばすことができる教育環境を整える。
-人口減少や新型コロナ対策など課題は多い。
県央の中央部にあり、交通の要衝でありながら、人口が減少している。若い世代の流出をどう食い止めるかが課題。新型コロナ対策は国や県、長崎大、医療関係団体、自治会と連携し、まず専門家会議を発足させ、さまざまな状況に対応できる体制をつくっていく。
【略歴】おおくぼ・ゆきしげ 長崎大卒。歯科医師を経て、2003年、県議選諫早市区で初当選。07年、参院議員となったが、13年の参院選、14年の衆院選長崎2区で落選。15年、県議に復帰。19年、4回目の当選を果たした。自宅は諫早市上町。防災士の資格も持つ。