雲仙復興事務所が閉所 国交省 維持、監視は継続

取り外された「雲仙復興事務所」の看板を手にする田村所長(左)ら=島原市南下川尻町

 43人の死者・行方不明者が出た1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流後、砂防ダム整備など国の直轄事業を担うため開設された国土交通省雲仙復興事務所(島原市)が31日、2020年度末で砂防事業完了に伴い廃止され、28年にわたる歴史の幕を閉じた。
 4月1日付で同省長崎河川国道事務所内に新設する「砂防課(雲仙砂防管理センター)」が国直轄の出先機関として、土石流に伴う除石工事や砂防設備の修繕などの維持管理業務を引き継ぐ。
 1990年11月から96年6月の終息宣言まで約5年半にも及んだ普賢岳噴火災害。復興事務所は93年4月、旧建設省雲仙復興工事事務所として開設された。火砕流や土石流で荒廃した水無川、中尾川、湯江川に計95基の砂防施設を建造した。噴火活動で形成された溶岩ドームの崩壊や土石流の被害を防ぐ砂防事業の総額は約1950億円に上る。
 31日夕、関係者約20人が見守る中、正面玄関に掲げられていた「雲仙復興事務所」の看板(高さ1.95メートル、幅34センチ、厚さ4センチ)が取り外された。
 田村毅所長(52)は「無事に役割を果たせた。体制は変わるが、水無川の砂防管理は続く。新しい看板で引き続き仕事をしてほしい」と述べた。
 15人体制の職員数は縮小されるが、同事務所が担ってきた専門機器による溶岩ドームの監視業務や自治体への観測データ提供などは雲仙砂防管理センターが担う。

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