八代市の日本遺産 水島は水島町じゃないの? 背景に干拓と江戸の文化財保護

©株式会社熊本日日新聞社

球磨川河口にあり、干潮時は陸続きとなる水島。日本書紀に登場し、国の名勝に指定されている=20年8月29日、八代市(高見伸、小型無人機で撮影)

 国指定名勝で、日本遺産の構成文化財にも認定されている八代市の小島「水島[みずしま]」の住所表記を巡り、「住所が(島の最寄りの)水島町でなく、随分離れた町名になっているのは間違いじゃないの?」との疑問が、熊日の「SNSこちら編集局」(S編)に寄せられた。取材すると、意外な理由が分かった。

 水島は同市水島町の堤防からわずか50メートルほどの場所にあるのだが、国の資料では所在地は約1・5キロ離れた「植柳下町[うやなぎしもまち]」となっている。

 八代海に面した球磨川河口にある周囲約200メートル、標高11メートルの無人島。日本書紀に景行天皇に島の湧き水が献上されたと記され、万葉集にも「聞きしごと まこと貴く 奇[くす]しくも 神さびをるか これの水島」(長田王[ながたのおおきみ])として登場する。地域のシンボル的な場所だ。

八代市水島町一帯。干拓地の外に島として残されている景勝地・水島(中央)を避けるように海岸線が湾曲している。

 疑問の声を寄せたのは水島町出身の女性(45)=熊本市。確かに八代市のホームページでは「水島町地先」とある。ネット上では「水島町」とした観光情報も散見された。一方、文化庁の文化財データベースは「植柳下町」と明記している。

 どちらが正しいのか? 八代市文化振興課に確認すると、水島は飛び地で、「植柳下町」が正解だった。

 同課によると、水島町一帯は江戸時代後期の干拓事業で誕生した陸地。それ以前は植柳下町までが海岸線だったため、水島も同町になったという。

 干拓事業は水島より沖合まで進んだが、当時、熊本藩の国学者・和田厳足[いずたり]が、由緒ある島として残すことを進言したため、陸地化を逃れたという。現在も海岸線が水島を避けるように、への字型に湾曲していることが分かる。

 広大な干拓地が広がる同市には、かつての島が陸地となった場所が点在。高島があった高島町、大島があった大島町など、島の名前が町名の由来になっている。もし、江戸時代に文化財保護の機運がなければ、水島も「水島町」になっていたのかもしれない。

 一方、同市ホームページで「水島町地先」と表記されていることについては、「近隣住民が、水島を守り神として代々大事にしてきたことに配慮したのだろう」と同課の担当者は推察した。ただ、水島の正式な住所表記は「八代市植柳下町字[あざ]水島50番」。ちゃんと水島が付いていた。(和田毅)