4月4日は『クー!キン・ザ・ザ』ゲオルギー・ダネリヤ監督の命日、その知られざる驚異の観客動員力

5月14日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開となる映画『クー!キン・ザ・ザ』だが、明日4月4日(日)は2019年に惜しくもこの世を去ったゲオルギー・ダネリヤ監督の命日。『クー!キン・ザ・ザ』はそのダネリヤ監督の遺作となった。

4月4日(日)にはヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺にて追悼の特別先行上映が行なわれるが、なかなか日本にはその情報が入ってこないダネリヤ監督の旧ソ連での凄まじい観客動員力を紹介しよう。

実は、ソ連の人口の半分5800万人という、おそるべき観客動員を記録したゲオルギー・ダネリヤ監督

1950年代末からソ連の最高指導者だった、ニキータ・フルシチョフが始めた文化的な「雪解け」の時期に映画における「ソビエト・ニュー・ウェーブ」でゲオルギー・ダネリヤ監督はその象徴となった。

イーゴル・タランキンと共同監督した長編デビュー作「Seryozha」(1960年)はカルロヴィ・ヴァリ映画祭ののクリスタル・グローブ賞を受賞し、成功をおさめた。

ゲンナジー・シュパリコフが脚本を執筆し、1960年代前半の自由な空気のなか、青春を謳歌するモスクワの若者たちの一日を瑞々しいタッチで描いた『私はモスクワを歩く』(1963年)は、ソ連政府によるプロパガンダのない自由な環境で制作されていたが、その後は検閲により、プロットと脚本の変更を要求される事態となる(『私はモスクワを歩く』は当時18歳だったニキータ・ミハルコフが出演、撮影はタルコフスキー作品を多数手がけるワジム・ユーソフ)。

レオニード・ブレジネフによってニキータ・フルシチョフが最高指導者を解任され、ソ連の「雪解け」の時代は終わった。コメディ作品「33」(1965年)は、KGBのウラジーミル・セミチャストニー長官によって反ソビエトのレッテルを貼られ、ダネリヤ監督はしばらく不遇の時代を過ごすことになる。

その後、少しずつ映画のキャリアを復活させたダネリヤ監督の最も知られる作品『不思議惑星キン・ザ・ザ』は1986年初公開時、ソ連全土で1,570万人もの観客を動員した。1986年のソ連の人口は1億4,352万人。人口の約11%が作品を観たこととなり、現代日本に置き換えれば13,812,700人が観た計算で、客単価を1,400円とした場合にその興行収入は193億円に達し、歴代興行収入ランキング第9位にランクインしてしまう。ほとんど「クー」という言葉しか出てこない映画が、だ。

だがさらに唖然なのがゲオルギー・ダネリヤ監督の1975年作品『AFONYA』。当時のソ連人口1億3,363万人のところ、6,220万人の観客を動員。人口の46.5%が観た。同様に現代日本に置き換えた場合、観客動員58,390,050人、興行収入817億円となり、歴代興行収入ランキングはぶっちぎりの1位、未来永劫破られないであろう記録となる。だが残念なことにこの『AFONYA』は日本では劇場未公開、一切輸入された形跡はなく、誰も観たことのない作品であり、その内容もまったく不明だ。

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