習近平の頭脳狩り「千人計画」とは何か?|佐々木類 知的財産を頭脳ごと盗み出す習近平による「千人計画」の全貌。対象者は学者だけでなくメディア関係者にも及ぶ。日本は今、野放し状態で中国などの草刈り場となっている!

大物科学者であるハーバード大教授逮捕の衝撃

ハーヴァード大学はリーバー教授の訴追について「極めて深刻だ」とコメント

「千人計画」(Thousand Talents Plan)という謎めいた響きを持つ言葉が、日米両国で再び注目を集めている。

きっかけは、中国・武漢にある大学と関わりのあった米ハーバード大学教授という大物科学者の逮捕劇だ。2020年1月、中国と内通していたことが米国内法に違反したとして米司法省に逮捕、起訴された。武漢と言えば、新型コロナウイルスの発生源だ。この教授とコロナ禍にはどんな関係があるのか、ないのか。

この話を詳述する前に、千人計画とは何なのか、まずは簡単に説明しておきたい。

千人計画とは、ノーベル賞受賞者を含む世界トップレベルの研究者を1000人規模で集め、破格の待遇で中国に招聘する国家プロジェクトだ。言うなれば、最先端技術を中心とした知的財産を米国など諸外国から手っ取り早く手に入れる計画だ。

もともと、1990年代に先端技術の獲得を急ぐため、海外に留学していた中国人研究者を対象に、中国政府が国策として彼らの帰国を積極的に働きかけたのが始まりだ。彼らは海を漂って母国に戻ることから「海亀」と呼ばれる。中国語で海外から戻るという意味の海帰と海亀の発音(haigui)が似ていることに由来する。

北京五輪が開催された2008年以降は、「千人計画」の一環として米国を中心に中国人以外の外国人研究者の招聘にも乗り出した。これら外国人研究者を中心とした「外専千人計画」など、いまでは200近い招聘プログラムがあるとされ、「万人計画」などとも呼ばれている。

しかし、中国共産党肝煎りのこの計画が躓(つまず)き始める。2018年ごろだ。米捜査当局による中国人研究者の逮捕や米大学、研究機関による解雇が相次いだのだ。これを機に「千人計画」という4文字が表立って語られることがなくなり、中国の公的文書から一斉に消えた。米国の圧力に焦った習近平政権が、党や政府の通達文書から「千人計画」を削除するよう指示したためとみられる。

だが、計画自体は地下に潜っただけであり、参加する研究者があとを絶たない実態をみると、むしろ、加速しているとみてよかろう。米国では、安全保障を脅かす危険な計画として、連邦議会や司法省が警戒を強めているのがその証左だ。

計100万ドルの見返りに

こうしたなか、千人計画にかかわる日米両国の関係者らに衝撃が走ったのが、先述したハーバード大教授が逮捕された一件だ。米司法省は2020年1月28日、千人計画への参加をめぐって、米政府に虚偽の報告をしたとして、ナノテクノロジーの世界的な権威として知られるハーバード大化学・化学生物学学部長のチャールズ・リーバー教授(60)の強制捜査に踏み切ったのだ。

ナノテクノロジーとは、物質を分子や原子という極小の世界において自在に制御する技術のことだ。中国のみならず、世界が競って開発に注力している分野でもある。

司法省によると、リーバー教授は2012~17年ごろ、千人計画に参加し、月額5万ドル(約535万円)の給料や15万8000ドル(約1700万円)の生活費など、計100万ドル(1億700万円)を受け取っていた。その見返りに、中国・湖北省の武漢理工大学の名義で論文発表などを中国側から要求されていたという。

リーバー教授は、軍事関連の研究などで国防総省やNIH(米国立衛生研究所)といった連邦政府機関からも、計1500万ドル(16億3600万円)もの研究費を受け取っていたが、米政府に報告する義務を怠った(2020年1月30日付、英BBC日本語電子版)。

米国内法では、外国から資金提供を受けた場合、政府に報告しなければならない。だが、教授は千人計画への参加を隠したまま、FBIの事情聴取にも関与を否定した。司法省が教授の逮捕に踏み切ったのは、極めて悪質とみたためだ。ハーバード大は「極めて深刻で捜査に協力する」とコメントし、教授を無期限の休職処分としたことを明らかにした。

武漢と深い関わり

リーバー教授はペンシルベニア州フィラデルフィア出身。スタンフォード大学博士課程を修了し、2015年からハーバード大で化学・化学生物学学部長を務めていた。400本を超える論文を共同で執筆している。

リーバー教授の起訴が米国内外に波紋を広げたのは、武漢理工大での論文作成にみられるように、新型コロナウイルスが発生した武漢と深い関わりがあったためだ。教授が逮捕されたのが、中国・武漢市が都市封鎖(ロックダウン)されたのとほぼ同じ時期だったことも注目を集めた。新型コロナウイルスが生物兵器である、との噂が公然と語られ始めた時期と重なっていたからだ。

まず浮上したのが、リーバー教授が武漢で発生した新型コロナウイルスを中国に売却したのではないかという疑惑だ。ファクト・チェックで知られる米サイト「スノープス」によると、リーバー教授は、2011年から武漢理工大で特別招聘教授を兼任していた。

このため、リーバー教授が関わったとは言わないまでも、新型コロナウイルスが人工的に造られた生物兵器ではないかとの憶測が広がり始めた。

だが、スノープスは、リーバー教授への強制捜査と新型コロナウイルスの関係について「証拠はどこにもない」と否定し、起訴されたのはあくまでも米政府への申告義務を怠った収入面での経済的な理由と学術面での不当な情報持ち出しが理由である、との見方を示している。

人民解放軍が「学生」と偽り

ハーバード大のある米北東部のボストン市周辺では、このほかにも大学関係の中国人2人が虚偽申告などの罪に問われている。マサチューセッツ州連邦地検の検事が2020年1月28日の記者会見で発表したところによると、ボストン大学でロボット工学を研究する中国人女性(29)はビザ申請の際、人民解放軍士官という肩書を隠して「学生」と偽り、詐欺や虚偽申告などの罪に問われた。女性士官は米軍のウェブサイトにアクセスして中国へ情報を送るなど、多くの任務を果たしたとみられる。

ハーバード大でがん研究をしていた中国人の研究者(30)は、ソックスのなかに生物試料の瓶21本を隠したまま帰国便に搭乗しようとしたうえ、連邦当局者に嘘をついた罪に問われていることも分かった(2020年1月29日付、米CNN日本語版)。

州検事は「中国が米国の技術を盗み取ろうとしている作戦のほんの一部だ」と語り、ボストンは大学や研究施設が集中しているため標的になりやすいとの見方を示した。

千人計画絡みの事件は続く。5月8日、米司法省は南部アーカンソー州にあるアーカンソー大学の中国系米国人教授を逮捕、起訴した。中国政府や企業から資金供給を受けていたにもかかわらず、虚偽の申告をした罪だ。リーバー教授と同じ罪で、最長20年の懲役刑となる。

米司法省などによると、この教授は仲間の中国人研究者に送ったメールで、「中国のネットで調べれば分かるが、米国が『千人計画』の学者をどう扱うかが分かる。私がその一人であることを知っている人は少ないが、このニュースが広まったら私の仕事は大変なことになる」と書いている。

日本で報じられない米捜査当局の重大な動き

アーカンソー大はこの教授を停職処分としたうえで、FBIの捜査に協力している。教授は同大学で1988年から教鞭をとり、電気工学系の高密度エレクトロニクスセンター所長を務めていた。

南部ジョージア州アトランタの名門、エモリー大学の中国系米国人学者も千人計画に参加し、米当局に申告詐欺罪で起訴された。この学者は過去六年間、中国の複数の大学で千人計画関連のプロジェクトに参加していた。中国当局からの資金提供とみられる学者の海外収入は五十万ドル(約5370万円)に上ったにもかかわらず、申告せずに虚偽報告をしていた。学者は執行猶予1年、35000ドルの罰金刑となった。

散発的な強制捜査のせいもあるのだろう。日本ではほとんど報じられていないが、米捜査当局が千人計画絡みで取り締まりを強化し始めていることを示す重大な動きである。一つひとつの事件をたどっていくと、背後にハイテクや学術分野で米国としのぎを削る中国への米当局の警戒感が色濃く浮かんでくる。

知的財産を頭脳ごと盗み出す

中国は建国100年に当たる2049年を目標に、製造強国となってハイテク分野で世界の覇権を握ることを狙っている。そのために手っ取り早く、米国の知的財産を頭脳ごと盗み出そうというのが千人計画であることは書いてきたとおりだ。

中国は2016年3月、中国共産党の第13次5カ年計画(16~20年)に「軍民のより深い融合の推進」を掲げ、7月に発表した軍民融合戦略に関する方針に「科学技術・経済・軍事において機先を制して有利な地位を占め、将来の戦争の主導権を奪取する」と明記した。

17年1月には、習近平国家主席がトップの中央軍民融合発展委員会を設立して、中国軍の近代化を図っている。軍民融合戦略の方針にあるとおり、中国にとって、軍事と民間には境がないどころか、表裏一体であるという事実を押えておかねばならない。

そこで中国が目をつけたのが、陸・海・空という従来の戦闘空間に加え、宇宙、サイバー、第5世代(5G)移動通信システム、AI(人工知能)といった領域だ。米国に勝利するため、革新的技術を持つ博士クラスの「高度人材」の獲得に躍起となっていく。

千人計画と同様、米国を刺激することを避けるため、中国がその存在を伏せるようになったハイテク産業戦略「中国製造2025」は、千人計画の数年後に始まった。優秀な人材の確保に一定のめどがついたことから起案されたとみられ、千人計画と中国製造2025が連動していることが分かる。

実際、中国当局は2014年、08年から始めた千人計画の成果として「中国製造2025」で示したようなハイテク産業で「多くの中国独自の製品を生み出した」とし、核技術、有人宇宙飛行、有人潜水艇、北斗衛星ナビシステムなど軍需産業などの分野で、「技術的難関を突破した」とアピールしている。

米国はまさに、その両方に神経を尖らせているが、これこそ、米中貿易戦争の裏側で繰り広げられている情報戦の実態なのである。

中国に「影の研究室」を設立

それを裏付ける動きが米国内で表面化してきた。リーバー教授を逮捕する2カ月前の2019年11月のことだ。米連邦議会は「中国の千人計画は脅威である」との報告書を公表した。上院の国土安全保障小委員会(共和党のロブ・ポートマン委員長、オハイオ州選出)が超党派でまとめた。FBI、全米科学財団(NSF)、NIH(米国立衛生研究所)、エネルギー省、国務省、商務省のほか、ホワイトハウス科学技術政策室の7つの組織を対象に、8カ月かけて調査したものだ。

報告書はまず、こう指摘した。

「中国の国外で研究を行っている研究者らを中国政府が募集する人材募集プログラムにより、米政府の研究資金と民間部門の技術が中国の軍事力と経済力を強化するために使われており、その対策は遅れている」

具体的には、中国は2050年までに科学技術における世界のリーダーになることを目指しており、中国政府は1990年代後半から、海外の研究者を募集して国内の研究を促進。そのなかで最も有名なのが、千人計画だとしている。報告書は千人計画について、2008年に始まり、2017年までに7000人の研究者を集め、ボーナスや諸手当や研究資金が用意されたと指摘している。

問題なのは、契約内容だ。ポートマン上院議員によると、契約書は千人計画に参加する科学者に対し、中国のために働くこと、契約を秘密にし、ポスドクを募集し、スポンサーになる中国の研究機関にすべての知的財産権を譲り渡すことを求めているという。契約書はまた、科学者たちが米国で行っている研究を忠実にまねた「影の研究室」を中国に設立することを奨励しているという。

研究所から3万件の電子ファイルを持ち去る売国奴

NIHのマイケル・ラウアー副所長は連邦議会の公聴会で、「中国は『影の研究室』のおかげで、米国で何が進んでいるかを世界に先駆けて知ることができる。NIHが『影の研究室』の存在を米国の他の研究機関に(警戒を促すために)知らせると驚かれる。多くの研究機関は、職員が中国に研究室を持っていることを知らなかった」と証言している(ネイチャー・アジア・コム日本語版)。

エネルギー省の調査では、NIHに所属していたあるポスドク研究員は、千人計画に選ばれて中国で教授職を得、中国に戻る前にこの研究所から3万件の電子ファイルを持ち去ったという。

幸い、機密扱いではなかったためにNIHにとって致命傷とはならなかったようだが、エネルギー省は研究員の行為自体を悪質な事案として重大視している。エネルギー省自身も、議会報告書が公表される前の2019年6月、省内の研究者の千人計画への参加を禁止した。

NIHの研究員は、中国の研究機関に対し、米国での自分の研究分野は高度な防衛力を持つために重要なものだと売り込み、中国の防衛力の近代化を支援する研究を計画していたという。金に釣られて仲間を売る人間はどこの国にでもいるからいまさら驚かないが、それにしても、売国奴という3文字以外に当てはまる言葉が見つからない。

FBI副部長「すぐにでも行動を起こすべきである」

ポートマン氏は、こうした中国の千人計画に対し、FBIや米研究機関の対応は非常に遅く、米国の研究を守るための取り組みを強化しなければならない、と指摘している。

報告書はまた、「千人計画に参加している研究者には、契約条件などを完全な形で開示しなければ、米国の研究資金を得られないようにすべきだ」などと提言し、何らかの立法措置が必要とも指摘した。

米国大学協会(ワシントンDC)のトビン・スミス政策担当副会長は、「報告書は、人材募集プログラムの契約内容を徹底的に調べることで、この問題を生々しく伝えている。大学教員たちはこの報告書をよく読み、千人計画に加わる危険性に注意しなければならない」と話している。

FBIのジョン・ブラウン副部長は、「千人計画に参加した科学者たちのすべてが古典的なスパイだとは言えないが、中国から情報提供を求められているのも事実であり、違法性がある。防諜の観点からもっと早く対処策を講じなければならず、米政府や研究機関はすぐにでも行動を起こすべきである」としている。

これより前、米連邦議会は2018年6月にも、千人計画に関する報告書を公表している。米政府組織の貿易・製造政策局による「中国の経済的侵略が、どのように米国と世界の技術と知的財産を脅かしているか」と題するレポートだ。

それによると、米国が大規模に投資して得たハイテク産業や知的財産について、中国は物理的、あるいはサイバー攻撃で盗み、技術移転を強要するなどして不正入手しているという。被害対象の技術分野は、中国が掲げる中国製造2025に明記されたAI、航空宇宙、仮想現実(VR)、高速鉄道、新エネルギー自動車産業など多分野にわたる。

メディア関係者も千人計画の有力な候補者

北京市大地法律事務所が訳したという中国の公文書がある。日本貿易振興機構(JETRO)が、同事務所の許可を得てインターネット上に掲載した資料だ。2017年3月28日付で、国家外交専門家局、人力資源社会保障部、外交部、公安部の四つの部門による共同発行の形をとり、「外国人訪中就労許可制度全面実施に関する通知」との表題だ。指導思想の項目に、こう書いてある。

「習近平党総書記の重要講話を徹底し、技術革新、協調、緑色、開放、共有という発展の理念を強固に樹立し、『世界中の英才を集めて起用する』という戦略的な思想を実践し、人材優先の発展戦略と就業優先戦略を着実に実施し、『ハイレベル人材の訪中を奨励し、一般人材は制御し、低レベル人材は制限する』という原則を守り(以下、省略)」

低レベル人材は制限するという表現は、いかにも共産党独裁政権らしい差別的で階級意識の表れた物言いではないか。

他の部分で目を引くのが、メディア関係者も対象になっていることだ。これは、中国の政治的なプロパガンダを忠実に実行し得る影響力を持った人材を欲しているとみられる。人権弾圧が国際社会から批判されている香港やチベット、ウイグル問題などで、中国政府を積極的に擁護するような発言をしている人物も千人計画の有力候補だろう。

歯止めのない頭脳流出

米中両国が知的財産の流出をめぐって激しいつばぜり合いを繰り広げるなか、日本政府も遅ればせながら動き出した。先端技術の海外流出防止のため、米国を参考に指針を設ける方向で検討を始めたのだ。科学技術振興機構(JST)など、政府系機関から資金支援する研究室のすべてについて、海外からの資金の情報開示を求める方針という(2020年6月24日付日経新聞)。

国会でも動きが出始めた。自民党の有村治子参院議員が6月2日の参院財政金融委員会で、千人計画について、日本政府がどこまで実態を把握しているのかを質した。政府委員は、日本には何も規定もなく、千人計画と日本人研究者とのつながりは把握していないと答弁した。

有村氏は、「日本の技術や教育資源によって培われた最先端技術を持つ研究者が、研究技術を軍事転用することを是認し、他国の国家戦略の中枢に担がれ、日本の安全を脅かしたり、防衛力が不当にそがれるようなことがあれば、日本の力が一気に落ちる」などと述べ、政府の無為無策を厳しく批判している。

歯止めのない頭脳流出は国益を損ねるが、自分の能力を十分に発揮できず、自らの能力に見合った報酬を得られないことに不満を持つ日本人技術者は少なくないのも事実だ。国も会社も自分の価値を認めてくれないとなれば、自分を高く評価してくれる国家、外国企業に身を委ねようと考えてもおかしくない。

軍事転用可能な先端技術の流出を食い止めるため、日本政府には日本人研究者への重点的な資金援助など優秀な人材へのきめ細かな支援の実施が求められる。同時に、米国と同様、国から補助金などを得ている研究者には、海外から資金提供があった場合は国への報告を義務付けるなど、法の整備を急ぐとともに、野放し状態で中国などの草刈り場となっている現状を把握し、頭脳流出の歯止め策を講じる必要がある。(初出:月刊『Hanada』2020年9月号)

佐々木類

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