天才・武豊「蛯名厩舎の馬で凱旋門賞を」レジェンドの現在過去未来を探る

©株式会社テレビ東京

3月15日に52歳になった競馬界のレジェンド・武豊

ジョッキー生活35年で通算獲得賞金900億円以上。手にした栄光は数知れない。その活躍が我々を勇気付けるのは、絶望の淵から這い上がってきた経験があるからだ。

レジェンドの現在過去未来を探る。

父、邦彦も競馬に生きた。名ジョッキーと呼ばれその後、調教師に。弟・幸四郎も同じ道を歩み、騎手から調教師になる。受け継いだ競馬一家の血筋から伝説は始まる。

ルーキーイヤーに69勝を挙げ新人最多勝記録を更新。

IMG

3年目には弱冠二十歳で年間最多勝利騎手に輝き日本に競馬ブームを起こす。天才の呼び名を誰にも疑わせず年間最多勝利は歴代最多の18回にもなる。

競馬をロマンにしたのも武豊だった。

名馬と刻んだ歴史。武豊は競馬をスポーツにもした。長きに渡り勝利を重ね続ける秘訣は、体作りにあった。

安定した姿勢を保って馬の負担を減らし、状況に応じて体をコントロールする力。派手なトレーニングでは決してないが定めたメニューに沿って日々黙々とこなしている。

IMG

天才という通り名は陰にある努力を隠しがちだがこうした積み重ねをおろそかにしないことが現役生活を支えている。

意識が変わった節目もある。2010年3月。前年、最多賞金獲得騎手になるなど、絶頂期にいた41歳の出来事。騎乗していた馬が左前脚を故障。前のめりに倒れて落馬し、腰椎と鎖骨を骨折し全治6ヶ月以上と診断される。

厄介だったのは左肩を動かす神経が切れていたこと。落馬から4ヶ月後には復帰したが、左肩の痛みは残っていた。通常、左手でも扱う鞭を右手でしか叩けず、そのせいで、持ち前のしなやかで柔らかい騎乗は鳴りを潜める。

結果、悪循環が始まる。

騎手は馬主からの依頼で馬に乗るが、その騎乗依頼が減少。良い馬との縁も減り勝利数も半分以下に激減する。「もう終わった」と引退説までささやかれた。

ケガをしたことで体と向き合った。それが現在のトレーニングにつながっている。苦しい時期は3年続き、つかんだ復活のチャンス。運命の巡り合わせがあった。

乗ることになった馬、『キズナ』はそれまでの騎手が怪我をし、代役での騎乗。しかも3年前に落馬した毎日杯で、見事勝利しビッグレースへの道を拓く。

迎えた日本ダービー。

ディープインパクト以来、8年ぶりの栄冠に輝いた。

2013年日本ダービー キズナ優勝、武豊5度目の制覇 写真:中原義史/アフロ

負の連鎖を断ち切ると再び騎乗依頼が戻ってきた。キタサンブラックとは黄金時代を築き、有馬記念などGIを6つも勝利する。去年、通算4200勝を達成。自らの記録を更新し年間でも怪我以降最多となる115勝をマークした。

驚くのは、そうした合間に海外のレースにも足を運んでいることだ。レジェンドのレジェンドたる由縁。武豊は海外挑戦の先駆者としての顔も持ち合わせている。

海外にも残した足跡。

日本人初の海外G1勝利も海外通算100勝もあとを追う後輩たちへの道しるべだ。去年3月にはサウジアラビアで日本人騎手として初勝利を挙げ、海外9カ国目の勝利を記録した。

IMG

本人は近い将来の悲願達成に期待を寄せる。それは追い続ける最大の夢、凱旋門賞。毎年10月、フランスで行われる世界最高峰のレースで、これまで武豊は8回挑戦したがまだその頂には手が届いていない。

印象深いのは2010年。武豊は7着だったレースで、2着となり日本人初勝利に肉薄したのが蛯名正義だった。凱旋門賞2度の2着。

日本ではJRA歴代4位の通算2541勝を挙げている蛯名は、武と同い年。競馬学校でも同期だった。15歳からの友があの日、同じ夢を追った。

ライバルであり、親友。

しかしその関係は最近大きく変わってしまった。蛯名は今年、騎手人生にピリオドを打ったのだ。今後は調教師として馬を育てる側へ回る。

「蛯名厩舎の馬で凱旋門賞を」

IMG

そのチャンスがいつ来てもいいように、武はまた励む。マンガのようなことを次々と実現させ続けてきた男。その歩みがどこまで続いてゆくか。これからも見ていたい。