北朝鮮警察の取り締まりに激しく抵抗する「イナゴ商人」たち

北朝鮮では1994年ごろから、現在の自由市場の原型となるものが登場した。当初は、以前からあった農民市場が拡大したり、流動人口の多いところに露店が立ち並んだりといった形だった。

大飢饉「苦難の行軍」の最中にあった1998年、当局は半ば公認の市場を作り、その中だけで商売ができるようにした。一方で、市場管理費(ショバ代)を払えるほどの儲けがない人々は、路上での商売を続けた。

市場管理費の取りはぐれを減らすため、当局は路上での商売をたびたび取り締まった。路上にゴザを広げて商品を並べて売り、取り締まりが来たらゴザで商品ごと丸めて飛んで逃げる様子から、彼らのことを「イナゴ商人」と呼ぶようになった。

それから二十数年。取り締まれど取り締まれど根絶はおろか、数が増える一方で、商人全体の4分の1ほどがイナゴ商人となった。デイリーNKは2011年10月にも、イナゴ商人が全国で急増し、取り締まりを行なっても効果が上がっていないと報じている。

当局は最近になって、改めて強硬な取り締まりに乗り出したが、効果がないことに変わりはないようだ。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋は、清津(チョンジン)市安全部(警察署)が先月30日、市内のイナゴ商人に対する大々的な取り締まりを行なったと伝えた。

水南(スナム)市場のそばの路地で露店を開いていたイナゴ商人たちは、安全員(警察官)が現れるや一目散に逃げ出したが、豆腐商人と、アイスクリーム商人の2人が運悪く捕まってしまった。

安全員は、2人の品物をすべて没収し、安全部(警察署)に連行したが、「生きていけるように保障してくれ」「対策もなしに品物を奪って、どうやって生きていけというのか」「いっそのこと殺せ」などと叫び、安全部の床に寝転がって強く抗議した。

しかし、安全員は「品物をあんなところで売ってどうするつもりだ」「路上での商売をなくせというのは党の方針」だと聞く耳を持たなかったという。

イナゴ商人に対する取り締まりの強化に対して、人々が生きていけるだけの対策もなしに無条件で取り締まりばかりしようとするやり方に、市民はため息を付いていると情報筋は伝えた。

その一方で、取り締まりは時間が経てば有耶無耶になる可能性が高いというのが、多くの市民の見方だ。上述の通り、取り締まりを行っても露店が一向に減らず、市場管理費やワイロを支払う見返りに黙認し、また上から命令が下されば取り締まる、という流れが20年以上続いてきたからだ。

「上に政策あれば下に対策あり」で対抗し続けきた北朝鮮の人々だけあり、様々な方法で取り締まりに対応している。一例を挙げると、路上で品目が書かれたチラシを配り、注文を受ければ家や倉庫から品物を届けるというものだ。

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