【追う!マイ・カナガワ】横浜の意外な酪農史(上)山手駅近くに牛がいたの?

石川さんの家に残る牛乳を入れていた容器。牛乳は缶に保存し、井戸水で冷やして新鮮さを保っていた=横浜市中区

 今年の元日にスタートした「追う! マイ・カナガワ」に新年早々、こんな年賀状が届いた。「謹賀新年。今年は丑(うし)年ですね。私が小学生の頃、横浜のJR山手駅付近で牛を飼ってた家があったけれど、今はいるんでしょうか?」。もう4月。牛を巡る冒険に出た記者が、ようやく横浜の男性(41)に返信を出す日が来た。

◆外国人に売っていた

 観光客でにぎわう横浜中華街や元町の玄関口であるJR石川町駅の隣、根岸線内で乗降客が最少で静かな雰囲気の山手駅。辺りは閑静な住宅街で、付近の商店街には若者に人気のおしゃれなカフェもある。

 ここに牛がいたの? 半信半疑で商店街で聞き込みを始めると、答えはすぐに見つかった。

 「この辺り、かつて三つくらい牧場があったのよ」。教えてくれたのは、たばこ屋を営む80代の女性だ。その近所に住む80代男性も「妹に牛乳を飲ませるため、牧場によく牛乳を買いに行かされたよ」と、思い出を語ってくれた。本当に牛はいたようだ。

 女性の家族が、駅近くにあった石川牧場の跡地まで案内してくれた。そこで今も暮らしている石川英文さん(74)に話を聞いた。愛知県出身の祖父が山手地区の牧場で修業し、1908(明治41)年に独立。石川牧場を現山手駅付近の立野に開業し、牛を長年飼育していたという。

 「牛乳、バターや生クリームも手作りしていました。それを山手に住む外国人やレストランに売っていたようです」。開港後、多くの外国人が居留するようになった横浜。今では想像できないが、日本初の牧場が誕生するなど、ハマで牛乳の供給が盛んだった時代は長かった。

◆開港と「ミルク・リング」

 「横浜には、1859(安政6)年の開港に伴い、『ミルク・リング』(牛乳圏)が存在したんです」

 山手の石川牧場跡地で、ハマの牛乳に思いをはせた記者は、横浜開港資料館(横浜市中区)の元調査研究員で、牧場の歴史に詳しい斎藤多喜夫さん(73)を訪ねた。

 「近代以降、都市の形成に伴って、乳製品を供給するために専業で牛を飼育する人々が現れ、中心街を取り囲むように搾乳場ができ、ミルク・リングが誕生しました」

 斎藤さんの調査では、明治時代の横浜では、現在の象の鼻パーク辺りの波止場を中心に、現在の中区や南区にかけて直径2~4キロ程度のミルク・リングが生まれ、1923年の関東大震災前には、搾乳場が最多で48カ所存在したという。

 「戦後には交通網が発達し、郊外に牧場が移っていきましたが、戦前までは横浜の中心部でも牧場や牛を飼っている家があちこちにあった。後継者がいた一部の家は戦後も経営を続けていたので、80~90年代まで都心で牛を見かける人もいたでしょう」 

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