やまゆり園での採火、「ありえない」と考える6つの理由 作家の佐藤幹夫氏に聞く

By 真下 周

福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」でスタートした五輪の聖火リレー=3月25日

 東京パラリンピック聖火をめぐり、2016年7月に障害者19人が殺害される事件が起きた神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が採火場所に選ばれた。世間では驚きを持って受け止められ、「浅はかだ」「不快な気持ちになった」と異論もわき起こっている。相模原市は「共生社会の実現を目指すパラリンピックの理念に沿って、あらゆる差別をなくしていくとの思いを発信する。事件の風化も防ぎたい」としているが、遺族らにも事前の説明がないなど、決定プロセスの雑さが明らかになった。「やまゆり園での採火はありえない」。作家の佐藤幹夫さんはそう断言する。養護学校教員の経験が20年、その後の20年はジャーナリストとして障害者が起こした数々の事件を追い、背景にある社会の差別意識や忌避感情を浮かび上がらせてきた佐藤さんに真意を語ってもらった。(聞き手、構成 共同通信=真下周)

 ―相模原市長は、「パラリンピック聖火リレーは、コンセプトである『Share Your Light/あなたは、きっと、誰かの光だ』に基づいて、この大会を契機に共生社会を実現し、人と人、人と社会との、『新しいパートナーシップ』を考えるきっかけとなることを目指す」と表明している。―

 なぜ「ありえない」と感じたのか整理してみます。

 1点目。五輪とパラそのものが、開催誘致段階から、巨額贈収賄の疑惑がもたれて日本オリンピック委員会(JOC)の前会長の引責辞任があったり(本人は否定)、原発事故の状況が「アンダーコントロールされている」という前首相による、事実とはおよそ異なる復興アピールが世界に発信されたりしました。その後もエンブレムの盗作疑惑があり、この2月には、東京オリ・パラ組織委員会の前会長の発言が女性蔑視だと批判され、辞任を余儀なくされるなど、さまざまな信じがたい問題を露呈させながら進んできました。今、国民が開催を歓迎し、総出で選手を応援しようという雰囲気にはなっていません。コロナウイルスの対応を見ていても、オリンピック開催が最優先事項であり、それ以外は、人命にかかわることでも付随事項という印象がぬぐえません。開催を強行することへの疑念をどうしても持ってしまうのです。

作家の佐藤幹夫さん

 2点目。主催者は、やまゆり園で採火することで、共生社会の実現をアピールするといいます。しかし、やまゆり園は大惨事が起きた場所です。亡くなった方々への哀悼も十分でないまま共生社会のアピールの場とする、というその考え方に強い疑義を持ちます。自分たちを利するときだけ障害者の存在を持ち出し、アリバイ作りとする。そう思えてならないのです。市長のいう「共生社会」や「新しいパートナーシップ」をどう考えるか。

 誤解を受けやすいところですが、たとえば近代的に整えられた施設があり、そこで利用者の方たちが安全と安心を満喫して過ごしている。専門的な訓練を受けたスタッフによって、手厚い支援を受けることができる。設備も外観も整えられている。そのような施設が各地に完備されていくことが、共生社会の実現に向かっている姿だと私は考えません。

 むしろ施設の存在は、私たちの社会がいまだ共生社会への道半ばであることを示す一つの指標だと考えます。どうしても施設を必要とする方がおられることは承知していますが、だから施設は必要だと考えるのではなく、どうすれば彼らの地域生活を私たちの社会が受け入れることができるか、私たちに何が足りないのか、そうした方向で考えなくてはならないのだと思います。共生社会の考え方をはき違えていないか、という疑念が拭えません。

殺傷事件から4年となり、献花台で手を合わせる女性=2020年7月26日、相模原市

 3点目は、津久井やまゆり園が、理不尽な理由で命を奪われた人たちの追悼の場所であることです。そのような場所で採火をすることが、本当に死者を悼むことになるのでしょうか。私の違和感は、原発事故が起きた福島で聖火リレーがスタートしたことから始まっているのですが、オリンピックの祭典に犠牲者を利用している、言葉が強すぎるかもしれませんが、政治利用している、そう感じるのは私だけではないはずです。

 先日、沖縄・辺野古の基地建設のために、沖縄戦で亡くなった方たちの遺骨の混じった土砂が埋め立てに使われており、そのことを強く抗議する報道がありました。この問題にも通じます。死者を悼む、弔う、といった気持ちを疑われるようなことが、なぜ繰り返し起きてしまうのか。死者をおとしめる権利は、生きている人間のだれにもありません。共生社会とは生きている人間の問題だけではないはずです。死者も含まれます。死者や犠牲者を悼む気持ちを失った社会が、共生社会を口にする資格があるのかどうか。

 4点目。県は、聖火リレーについて「厳かに実施していきたい」と言っていますが、死者を悼みながら「厳かに執り行われる聖火リレー」というものを、私は思い浮かべることができません。いま、各地の様子がテレビで放映され、手を振り笑顔で走る姿が映し出されています。有名タレントでも一般の人でも、誇りと喜びに満ちたイベントのはずです。「厳かに走る聖火ランナー」というのは、私の感覚では矛盾以外の何ものでもありません。加えてランナーは白地のユニフォーム姿で走っています。やまゆり園の敷地内を白いユニフォーム姿のランナーたちが走っている、という光景は受け入れがたいものです。あのエリアだけ哀悼の意を示すために黒いユニフォームで走る、などというわけにもいかないし、すべきことでもないでしょう。

集まった人たちに手を振る聖火ランナー=3月30日、群馬県大泉町

 やまゆり園での採火に、障害をもつ人たちにもメンバーとして加わってほしいと依頼したとき、どれくらいの人がそれに応じるでしょう。私の想像では、過半の方が、怒りとともに拒否するだろうと思います。障害をもつ人たちの気持ちを踏みにじるようなことが、「共生社会ニッポン」というアピールのために行われようとしているわけです。

 ここで事件について少し触れてみます。この事件には、考えなくてはならないことが多すぎするのですが、採火問題に関連する内容にとどめます。まず、県も、やまゆり園を指定管理者として運営していた「かながわ共同会」も、そしてやまゆり園も、この事件の「当事者」のはずですが、それを疑わせるような報道が散見されます。今回の問題にしても、園や共同会は、反対、賛成の表明はしない、あくまで市や県の決定に従うというスタンスだと聞きました。ある方からの情報ですが、以下は、推測を交えながらの意見になります。

 裁判が終わって以後、やまゆり園で、入所者への身体拘束などが常態化していた事実が報告されました。そのことが植松死刑囚に与えた影響は大きい、とも指摘されています。学校現場で同様の事件が起こったとき、学校側が、自分たちも被害者であるなどという態度に終始することは到底許されないでしょう。管理責任が厳しく問われます。やまゆり園とかながわ共同会も同様です。弁明の余地はないはずです。しかし私が知る限り、園や法人から、自分たちの取り組みや運営を、真摯(しんし)に振り返るような報告は出てきていません。さらに「かながわ共同会」が、再び指定管理者になったという報道もありました。トップの総入れ替えというかたちで事件の〝けじめ〟をつけたがっているようですが、県のこの判断は納得できるものではありません。納得できる説明もなされていないようです。先ほど「当事者性を疑う」と述べましたが、それはこうした点を指しています。

「津久井やまゆり園」=2016年8月

 やまゆり園での採火を世界に向けた共生社会のアピールとする、という判断は、園や法人や県がもつ「当事者性を欠いたあり方」と同根なのではないか、いみじくもそのことを物語っているのではないか。まずはこの点を指摘しておきたいと思います。これが5点目

 ―やまゆり園での採火方針について、相模原市は事前に犠牲者の遺族らへの意向確認を行っていなかった。一部報道では、「想像もしていなかった」とコメントを寄せた遺族もいるが、ほとんどは沈黙を貫いており、反応はうかがい知れない。―

 相模原市議からの情報によると、やまゆり園での採火の話は、コロナウイルスの感染拡大によって五輪の延期判断が論じられた1年ほど前から出ていたといいます。県内33自治体で採取した火を横浜市に集める、という議論があり、その話し合いのなかで相模原市長が「やまゆり園での採火は、共生社会のテーマに合致する」と発案したといいます。このアイデアに県も乗っていった。しかし市民や県民にも、遺族や利用者の家族にも伏せられていました。それをNHKがすっぱ抜くような形で報道し、公開せざるを得なくなったというのが、幾つかの筋から得た私の情報です。なぜ伏せてきたのか。

 主催者は、これから遺族や利用者家族の意向と真摯に向き合い、具体的な検討を進めていきたいとのことですが、その意向がどこまで反映されるか、私は疑っています。これまでの経緯を見ていると、「一緒に考えていこう」とアピールはするのですが、自分たちの決定の基本的なところは譲らない。何度も言われてきたことですが、意思決定のプロセスを明確にしようとはしません。「決めるのは自分たち。黙ってそれに従うのがあなたたちの役目」というのが、当初からのあり方です。

 一方、被害者遺族の方々は、事件当初から自分たちの意見を表に出さない、出せない、そういう所に置かれてきました。裁判では意見陳述をしましたが、それもまた匿名であり、名前と顔を出して意見を述べることはできなかった。採火問題にしても、賛成だと言えば当事者から批判される、県や法人をおもんばかれば反対だとは言えない。そう考えているのではないでしょうか。これほどの事件の「被害者遺族」であり、その意見は最大限尊重されて当然であるにもかかわらず、まったく逆の場所に自分たちを置かなくてはならなかった。それがこの事件の大きな特徴です。また他の事件とは異なる難しさだと感じてきました。

事件当日の16年7月26日朝、津久井やまゆり園で救急活動する消防関係者ら(共同通信社ヘリから)

 注意して話す必要があるのですが、その理由は、犠牲になったのが「重度知的障害者」の方々であり、その場所が、彼らが暮らしていた大規模障害者施設であったこと。戦後福祉そのものにかかわる問題だということです。70年代に表面化してくるのですが、施設で暮らしていた障害当事者の方たちは、施設を出たい、地域で暮らしたいと、希望を表明するようになります。その実現のための激しい闘いを始めるわけですが、自立生活を阻もうとする大きな壁が、家族であり親でした。まず親との闘いがあったわけです。

 事件後、利用者の家族は元のようなやまゆり園の再建を望むのですが、地域での暮らしを勝ち取ってきた当事者の方と支援者によって、猛烈な批判を受けることになります。命を奪われたのは施設生活を強いられていたためであり、親や家族は加害者に等しいではないか。そう批判されました。匿名の問題では、植松死刑囚に命を奪われ、次は親によってその生きてきた証しを消されてしまった。そんなふうに責められることになったわけです。

 施設批判も匿名批判も正論です。ところが正しければ正しいほど、被害者の遺族や家族は批判の対象となってしまう。他の事件ではありえないことです。犯罪被害者の遺族や家族がどれほど手厚いケアとサポートを必要とする存在か、2001年大阪市の附属池田小事件以降、私たちは学んできたはずです。しかし今回は批判の対象となっている。どちらが正しいか間違っているかではなく、発言を封じられた存在になってしまっている。どうしてこういうねじれた構造が生まれてしまうのか。今もって私の宿題です。

 事件後、県や市、かながわ共同会が遺族に対してどんなサポートをしてきたのか、ほとんど知らされていません。見舞金が支払われたことは聞き及んでいますが、そのことをもって十分なケアがなされたとは、私は考えません。先ほど、「当事者性」という文脈で批判したのですが、ここでも同じように、被害者遺族や家族の方々へ、どこまで当事者として向かい合ってきたか。これが6点目の「ありえない」理由です。

神戸の障害者団体「自立生活センターリングリング」が出した抗議文の一部

 ―神戸の障害者団体から、今回の決定への抗議文が県知事や相模原市長などに出された。「あの痛ましい殺戮(さつりく)事件を、19人の無念の死を、美談にすり替え終決させようとしている」などと批判する。また、作家の雨宮処凛さんはウェブ上で「植松死刑囚は『喜ぶ』のではないか」と指摘した。「彼はおそらく『自分の起こした事件は正しかったのだ。平和の祭典にふさわしい事件だったのだ』と思うのではないか。ある意味、『最悪のお墨付き』を与えるようなものではないだろうか」と投げかけた。―

 今回の決定にはさまざまな意見があるはずです。直接、相模原市に伝えるなり、SNSで発信するなりして、多くの人が意見表明していくことが大事だと思います。特に障害当事者の方々の意見は、大きな影響力をもつはずです。

 もちろん、難しい問題がないわけではありません。「障害当事者」とひとくくりにされてしまいがちですが、生活の仕方や意思表明のありようは千差万別です。私は基本的に、どれほど「重度障害者」と呼ばれる人でもコミュニケーションの取れない人はいない、交流は可能だと考えています。そのうえでの見解ですが、私の『知的障害と裁き』という本は、知的障害の人たちを理解し、意見のやり取りをすることがどれほど難しいかを示しました。千葉県東金市で2008年に5歳の女児が殺害された事件を取り上げたのですが、弁護団の苦慮と、私自身の躓きの記録になっています。いま、意思決定支援が盛んに言われます。もちろん反対ではありません。ただ、言葉だけが独り歩きしていないかという危惧を持ちます。誰かが誰かの「代弁者」になることはできないし(そう私は考えています)、どう意思をくみ取り、受けとめていくか、そうとう慎重に考えていく必要があると思います。いずれにしても色々な立場の方が、それぞれの意見を表明していく。機会を見つけて、どんどんやったほうがいいと思います。

 植松聖死刑囚を「喜ばせない」ためにはどうするか。採火問題をきっかけに、共生社会をどう考えるか、パートナーシップを作っていくためには何が必要か、その議論を怠らずに続けていくことが大切です。社会が障害をもつ人たちについて十分な議論を怠ってきたその事実をめがけて、植松死刑囚は爆弾を放り込んできたわけですから。

 障害をもつ人たちも、どんどん外に出てきてください。そして交流するための接点を作りましょう。その小さな積み重ねを粘り強く続けていくことが大事だと思います。地域で生活していると言っても、ネットワークをつくれないまま孤立しているのであれば、意味は半減してしまいます。私のこれまでの裁判ドキュメントは加害者の擁護と受け取られがちですが、そうではなく、自立が孤立にならないような、地域でのネットワークをどう作っていくか、その重要性を訴えたものです。

 いまコロナの問題があって難しいのですが、地域に出てきていただく、地域の側もそこでコミュニケーションの機会を大事にしていく。特効薬はありません。この採火問題もその機会にし、議論を続けることが、植松死刑囚を「喜ばせない」ために私たちにできることだと思います。

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