25歳のふたりが見せた名バトル。心を打った坪井翔の諦めない姿勢「『2位を守ろう』と言われてスイッチが入った」

 スーパーGT第1戦岡山で優勝した14号車ENEOS X PRIME GR Supraを1秒差のギリギリまで追い詰めた36号車au TOM’S GRスープラ。後半スティントでENEOS山下健太と約30周に渡ってバトルを繰り広げ、2位表彰台を獲得することになったau坪井翔がレースを振り返る。

 33周目の一斉ピットインで3番手を走行していた関口雄飛からステアリングを引き継いだ坪井。ピットロードではギヤトラブルでスタックしたトップの37号車KeePer TOM’S GRスープラをかわしてコースインし、2番手に浮上した。ただ、その時のピットの混乱を象徴するかのように、坪井のコースインまでの記憶は曖昧だ。

「とっさすぎて僕、何をしたのか全然覚えていない。37号車のどっち側から前に行ったのか、バタバタしすぎてぜんぜん記憶にないです」と、乗り替わり直後の様子を話す坪井。

「とりあえずメカニックの指示に従うと決めていたので、ジャッキが降りた瞬間にエンジンをかけて(斜め止めからバックに)押してる最中に『ブレーキ踏め』と言われたので踏んで、『行け』と言われたので行ったという(笑)。まったくどういう状況でどうなったのかはわからないのですけど、コース上に戻ったら2位だったので『どこかで抜いたのかな?』みたいな(笑)。よく状況がわからなかったですね」と振り返る坪井。

 セーフティカーが開けて、トップのENEOS山下と2番手のau坪井から、3番手のDENSO KOBELCO SARD GRスープラは序々に離されていく。50周を過ぎて、残り32周。優勝争いは完全に山下と坪井の一騎打ちとなった。

「相手のペースがいいところ、悪いところはわかっていた。圧倒的に僕の方がペースが良かった」

 坪井は山下に再三、オーバーテイクを仕掛ける。岡山の一番のオーバーテイクポイントはバックストレートエンドのブレーキング。そのため、バックストレートに入るアトウッドコーナーでのトラクションとポジショニングがまずは勝負どころになる。

 そのアトウッドコーナーを山下はインベタで周回し、坪井をインに入らせない。坪井は山下とラインを違えて、アウト-アウトからバックストレートに入るラインを選択した。

「GT500はダウンフォースが強く、フォーミュラカーのように後ろを走るとまったくグリップしないんです。ですので、なるべく(真後ろは)避けようと走っていて、山下選手がずっとイン-インのラインだったのでアトウッドはアウト側を走りました。同じくイン-インで行きたかったのですけど、インに行くとダウンフォースが抜けてしまったので、アウトから粘っていくしかないなと思いました」と坪井。

 クルマのトラクションとタイヤのグリップにはau坪井の方が優れ、コーナリングで山下を圧倒していた。逆にストレートでは山下の方に分があったという。

「思った以上にアウトから行ったときの僕のペースが圧倒的に速かったので、(バックストレートエンドのヘアピンで)横に並べる機会もありましたけど、あのポジションからでは普通に行ったら絶対に抜けない。でもインに入れる余裕もなかった。そこは山下選手がうまかったですね。セットアップの違いだと思いますけど、14号車のストレートは速かった。セットアップで重視しているところが違ったという感じです。逆の立場だったら僕も同じことをしていると思います」

 それでも、バックストレートエンド、そして1コーナー、アトウッドの進入と諦めずに何度もオーバーテイクを仕掛ける坪井。テール・トゥ・ノーズで山下の後ろで、時にマシンを滑らせながらも坪井は攻め続けた。

「タイヤのグリップは余裕ではなかったですけど、僕以上に山下選手が厳しそうだった。ひとりで走ることができればタイヤも流れなかったですけど、プッシュすると流れちゃいましたね。アンダーも出るしオーバーも出ましたが、なんとかそれを踏み倒して行っていたので、気合いで滑っていた感じです」と笑う坪井。

勝負どころでしっかりとインを抑える山下。追う坪井は攻め手が限られた。

 そして74周目、坪井に大きなチャンスが訪れる。アトウッドを上手く立ち上がった坪井がバックストレートでスリップストリームを使ってアウトから山下に並び、ブレーキング勝負に。坪井が半車身ほど前に出たが、坪井は止まりきれずにオーバーラン。サンドエリアに突っ込んでしまった。

「最後はミスしてしまったのですが、あの場面でもう少しブレーキングを我慢して残り5周、(14号車が)もっとペースが落ちてきたところで、抜けるチャンスを伺えればよかったのですが……少し熱くなりすぎて自分で飛び出してしまったのは反省点です」

「あの時、仮にすぐ後ろに後続が続いている状況なら表彰台に上がれていなかったので、そこは現実を真摯に受け止めたいです。ただ、第2スティントのなかではコース場でたぶん一番速かったので、自分の速さはみせることはできたし、ファイターなところも見せることができてよかったかなと思います」と坪井。

 坪井が話すように、レースフィニッシュまで残り5周となったところで山下のペースは極端に落ちた。タイヤのグリップが厳しく振動が出てきた状況で、ENEOSのピットでは緊急用のタイヤ交換の準備をしていたほどだった。

 そして、山下を抜くことは叶わなかったが、坪井のその後のファイトは見る者の多くの心を打った。

## ●ENEOS山下を再び追い始めたau坪井の最後まで諦めないファイティングスピリッツ

 74周目のオーバーランでテール・トゥ・ノーズから一転して山下との差は8秒差まで広がり、誰もが優勝争いは終わったと思われたなか、砂まみれになったタイヤでコースに戻った坪井は再びマシンをプッシュし、1周1秒単位で山下とのギャップを縮めはじめたのだ。

「飛び出たときは正直、チームに『ごめん』だったし『やっちゃった』という気持ちでした。なんとかコースに戻れて本当によかったです。でも、そのときのブレーキングでフラットスポットができて、クルマはすごく振動していました」

「それでも、最後の最後まで何が起きるのかがわからないのがレースなので諦めたくなかった。チームが後ろのとギャップを教えてくれて(3番手とは約8秒差あった)『2位を守ろう』と言われたのですけど、そこである意味スイッチが入ったというか『絶対に追いついてやる!』って。

「14号車はある程度マージンを持って走っていたとは思いますけど、できるだけ追い込めたかった。いつも心がけていることですが、最後まで諦めないことが大事なので、フラットスポットが何をしようが、ペースがいい限りはフルプッシュして追い詰められるだけ追い詰めたいなと思いました。周回数が少し足りなかったですけど、あそこまで縮めることができて……でも、やっぱり悔しいですね」

 結果的に、再び1秒1差までトップのENEOS山下を追い詰めたところで、au坪井にとっては無念のチェッカー。

 何度もバトルを仕掛け、横に並び、山下から激しいブロックを受けながら、坪井はライトをパッシングさせて最後まで諦めずに攻め続けながら、約30周に渡って繰り広げられた名バトルが終わった。マシンを降りて、山下のもとへ向かう坪井。

「『おめでとう』と伝えました。優勝は優勝なので。少し際どいレースで何回も僕が引くしかない状況というか、引かなかったら2台ともぶつかって終わってしまうような展開が続いたので正直、僕もフラストレーションが溜まりました」

「GRスープラ同士でぶつかってはいけないとはわかっていますけど、僕の方が圧倒的にペースが良くて、やはり1台分はスペースを残してほしかったなというのはあるのですけど、レースをやっている以上、逆の立場だったら僕もああいうレースをしていたと思います」と、悔しさを滲ませながらも山下への理解を示す坪井。

 山下と坪井はともに1995年生まれの同い年。山下は坪井より2年先にスーパーフォーミュラに参戦を果たしたように、エリート的にステップアップしてきた。その山下とは対称的に、坪井は一度トヨタを離れ、再加入してキャリアを築き上げて来た。そして今回の岡山の前週のスーパーフォーミュラ開幕戦では山下は予選でまさかの最下位、坪井も決勝レースの終盤にスピンをしてしまい最下位。ふたりともこのスーパーGT開幕戦に懸ける思い、そして優勝争いのバトルには特別な感情があったに違いない。

「見てる人にとってはすごく楽しいレースができたのかもしれないですけど、チームとしても個人的にも予選も決勝も悔しい思いをしたのでつらいです。けど、冷静に考えれば3番手スタートから2位。順位をしっかりと上げてレースを終えることができた。あの速さがあれば今後も優勝のチャンスが絶対に来ると思う。常にこの速さを、(サクセスウエイトが)重くなっても続けられるようにすれば、おのずとシリーズタイトルは見えてくると思います。優勝もほしいですけど、一番ほしいのはシリーズタイトル。全8戦のレースを最後まで諦めずに戦っていきたいと思います」と前を向いた坪井。

 闘争心剥き出しに坪井をブロックする山下に、何度も何度も果敢に挑み続けた坪井。25歳の若いふたりのファイターが見せた意地の名バトルに、今年のスーパーGTは若い世代が引っ張って行きそうな、新しい時代の変化を感じさせた。

チェッカー後、マシンを降りて悔しさを抑えながらも、優勝した山下を祝福した坪井。

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