4人一緒に暮らす、当たり前の日常が何よりの幸せ 熊本から阿久根に移住 地震で学んだ家族の大切さ

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家族の団らんを楽しむ山本さん一家=阿久根市赤瀬川

 激しい揺れに2度見舞われた熊本地震で、熊本市の自宅マンションは半壊した。山本健太さん(43)恵子さん(45)夫婦は、幼い2人の子供と一時離ればなれの生活を余儀なくされた。あれから5年。阿久根市に移住した山本さん一家は、同じ屋根の下で4人が過ごす幸せをかみしめている。8歳になった末っ子の琉偉(るい)君は言う。「4人は一緒にいないとダメなんだよ」

 2016年4月14日夜。熊本市南区のマンションを強烈な「前震」が襲った。体が浮くほどの揺れが続き、家具が次々と倒れた。

 踏ん張るのが精いっぱいだった恵子さんは、3歳だった琉偉君が震えながら揺れに耐える姿が脳裏に焼き付いている。「数十センチ先の息子を引き寄せることすらできなかった。申し訳なさは今も消えない」。2日後の「本震」で、マンションの水、電気とも止まった。

 健太さんは半導体の製造工場、恵子さんは産婦人科で働いていた。ともに人手が足りず、避難生活をしながら職場に向かった。

 学校や幼稚園は休みになった。「苦渋の決断」で小5だった長女瑠菜(るな)さん(15)と幼稚園に通っていた琉偉君を健太さんの実家である阿久根市の祖父母宅に預けた。

 この間、健太さんと恵子さんは車で寝泊まりした。子どもたちと会えない寂しさに、やまない余震への恐怖。恵子さんは見る見る体重が落ちた。

 「パパとママが地震にあったらと思うと心配でしょうがなかった。あのときが一番つらかった」。瑠菜さんと琉偉君は目に涙を浮かべて振り返る。

 6月初旬、学校が再開したのを機に、2人を祖父母宅から呼び戻し、家族4人の生活を再スタートさせた。しかし健太さんは、地震への不安がどうしても拭えなかった。18年春、4人で阿久根市に移り、健太さんは、バス会社に再就職した。

 中古の平屋住宅に暮らす。地震に備え家具の配置を工夫し、防災リュックサックを常備する。5年前の経験が身に染みている瑠菜さん、琉偉君は災害が起きればどこに避難すればいいか、外出しているときに確かめることがある。

 健太さんは「備えの差が生死を分ける。熊本地震の記憶が薄れつつある今こそ、防災意識を高める取り組みが必要」と力を込める。

 被災前は、自宅にいても4人それぞれが好きに過ごしていた。今は食事後も全員がリビングを離れず、その日の出来事を語り合う。

 「朝起きて、おはようと言える当たり前の日常が何よりの幸せ」。地元の鶴翔高校に入学した瑠菜さんは、そばにいる家族を見つめ感謝した。