敦煌で見つけた「日本の形跡」

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敦煌で見つけた「日本の形跡」

1997年に長崎県で開かれた「敦煌莫高窟展」。(資料写真、敦煌=新華社配信)

 【新華社敦煌4月18日】中国甘粛省敦煌市で現在、「シルクロードの美地・敦煌展」が開催されており、敦煌壁画の精巧なデジタル作品の前では来場者が足を止めている。敦煌は多くの日本人が思いを寄せる場所であり、このシルクロードの古都では多くの「日本の形跡」を見つけることができる。

敦煌で見つけた「日本の形跡」

8日、「シルクロードの美地・敦煌展」で展示された榆林窟のデジタル壁画。(敦煌=新華社記者/張玉潔)

 甘粛画院の段兼善(だん・けんぜん)元副院長は「中国と日本は文化的つながりが非常に深く、シルクロードを通じて東に伝わった仏教が、両国の似通った文化の下地をもたらした」と説明。シルクロードの要衝である敦煌では仏教芸術が栄え、文化的価値の高い莫高窟が誕生し、日本は遣隋使や遣唐使を派遣して中国文化を学んできたと述べた。

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8日、甘粛省敦煌市で開かれている「シルクロードの美地・敦煌展」で展示された「美人菩薩」のデジタル壁画(右)。(敦煌=新華社記者/張玉潔)

 在中国日本大使館の志水史雄公使は「古来より、日本は中国文化を吸収して、日本独自の文化を発展させてきた。中国文化、仏教文化が日本に与えた影響は非常に大きく、日本人の心の中で敦煌が大きな地位を占めていると言っても過言ではない」と語った。

 約120年前に敦煌の莫高窟蔵経洞が発見され、多くの文化財が海外に流出したことで、日本などの研究者の注目を集めるようになり、国際的な学問「敦煌学」が誕生。日本は世界の敦煌学研究において、重要な力を持つことになった。

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8日、甘粛省敦煌市で展示された「五台山図」のデジタル壁画。(敦煌=新華社記者/張玉潔)

 新中国成立後、敦煌と日本の文化交流はさらに深まり、1958年には当時の敦煌文物研究所所長、常書鴻(じょう・しょこう)氏が敦煌壁画を模写した作品を日本で展示し、大きな話題となった。

 この展覧会には、画家の平山郁夫氏や小説家の井上靖氏らも訪れた。平山氏はその後敦煌に関心を持ち、敦煌文化財保護事業や人材育成などに心血を注ぎ、井上氏は日本で話題となった小説「敦煌」を著した。

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莫高窟第285窟で、研究用に撮影する敦煌研究院と東京文化財研究所のスタッフ。(資料写真、敦煌=新華社配信)

 日中友好協会名誉会長を務めた平山氏は敦煌を数十回にわたり訪問。敦煌を保護するための基金を設立し、保護設備を寄贈するとともに、長年にわたり人材育成にも携わり、当時の竹下登首相の敦煌訪問を後押しし、日本政府の無償援助による敦煌石窟文物保護研究陳列センター建設にも尽力した。

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1992年、莫高窟第194窟で、環境モニタリング調査を行う東京文化財研究所の専門家。(資料写真、敦煌=新華社配信)

 「一帯一路」構想が提唱されてから、中日間の文化交流、民間交流における敦煌の役割が特に顕著になっている。

 2018年には「平山郁夫のシルクロード世界」が敦煌莫高窟で開催された。同展はシルクロード文明を紹介するとともに、中日友好や世界文化遺産保護に尽力した平山氏の非凡な生涯を振り返る内容となっており、その後、北京などでも開かれた。

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敦煌保護に尽力した平山郁夫氏。(資料写真、敦煌=新華社配信)

 志水氏は両国文化交流について、歴史が長く、多くの日本人がドキュメンタリー番組や旅行などを通じて敦煌を知っており、両国は伝統文化のほか、現代芸術や文化財保護技術などの分野でさらに協力を強化できるとの考えを示した。(記者/張玉潔、郎兵兵、馮亜松)

敦煌で見つけた「日本の形跡」

1958年に日本で開かれた「中国敦煌芸術展」。(資料写真、敦煌=新華社配信)

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1958年に日本で開かれた「中国敦煌芸術展」。(資料写真、敦煌=新華社配信)

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9日、春の気配に満ちた敦煌莫高窟。(敦煌=新華社記者/張玉潔)