菅義偉首相が変化を模索している。新型コロナウイルス対応がうまくいかず、内閣支持率の下落に直面。何でも自分で決めてきた「菅一存」スタイルのからの脱皮をうかがう。首相に就任して既に200日を超えた。9月末の自民党総裁任期、10月21日の衆院議員任期の満了を見据えた首相の一手が、政権の死命に直結する。
▽「結論だけが下りてくる」
裁量権を周囲に与えないという「菅一存」。「安倍1強」との違いは「チーム力の欠如」(安倍晋三前首相周辺)と言われる。ある閣僚は「閣僚懇談会での議論がなくなり、結論だけ下りてくるようになった」と実情を明かす。官邸関係者は「黙って自分で全部決めてしまうので、進言する余地がない」とぼやく。
弊害が如実に表れたのが昨年12月のステーキ会食問題だ。観光支援事業「Go To トラベル」の停止を発表した当日。「年末年始は静かに」と国民に呼び掛けた直後、自身は自民党の二階俊博幹事長や各界著名人との大人数会食に合流した。与党幹部は「なぜ誰も止められないのか」と首相を支える体制を危ぶんだ。
首相は「国民の当たり前」にこだわる姿勢を何度も口にしてきた。だが実際の行動は、「言っていることとやっていることが逆」(与党議員)になった。
首都圏以外の緊急事態宣言解除を決めた2月26日。内閣記者会が要請した記者会見には応じず、短時間を想定したぶら下がり取材で対応した。総務省接待問題で山田真貴子内閣広報官(3日後に辞職)に批判の矛先が向いており、会見の司会役を務めるはずの「山田隠し」に映った。
記者団のぶら下がり取材は結局18分間にわたり、質疑応答は白熱。首相は最後に「質問は出尽くしたのではないか」と言い捨てると、ムッとしたまま立ち去った。
▽使いすぎた「抜かずの宝刀」
「相続税で何か対応を」―。首相が昨年秋、金融庁幹部に出した指示だ。「国際金融都市」実現へ海外の人材を集める政策だが、あまりに「ざっくりした指示」に官僚側も戸惑うケースは多い。
官房長官時代には、東京五輪経費について「できるだけ東京都に金を出すな」と内閣官房職員にひそかに伝えた。小池百合子東京都知事との確執は周知の事実。経済官庁の課長は「行間を読めと言わんばかりだ」と憤る。
政治主導は1996年に橋本内閣が着手した中央省庁再編に端を発し、歴代政権が進めた。安倍内閣は2014年、それまで中央省庁の内部調整を追認するきらいがあった幹部人事を内閣が一元管理する内閣人事局を新設し、「1強体制」を構築した。
フル活用したのが官房長官当時の菅首相だった。省庁幹部人事に度々介入する。放送事業会社「東北新社」に勤める長男正剛氏らの接待問題で辞職した前総務審議官の谷脇康彦氏は「お気に入り」として、事務次官就任が有力視されていた。
経済産業省の元官僚で霞が関改革を唱えるシンクタンク「青山社中」の朝比奈一郎筆頭代表は「人事を左右する『抜かずの宝刀』を官房長官として使いすぎた。反論を許さない怖いイメージが出来上がってしまった」と分析する。
▽首相の「前のめり」、尾身氏が阻止
首相の独断スタイルに立ちはだかったのは新型コロナ感染だ。
昨年12月、感染は収束していくという首相の期待は裏切られ、首都圏知事に押される形で1月に緊急事態宣言を再発令した。「1カ月後には必ず事態を改善させる」と明言したが、結局期間を延長することに。
2月末、関西圏などの解除は首相にとって譲れない一線だった。飲食店に絞った感染対策の「成功」演出という思惑も透けた。西村康稔経済再生担当相らは慎重姿勢を示したが、首相は知事らの要請を盾にして押し切った。
このとき首相には温めていたプランがあった。2月26日の関西圏など先行解除決定と同時に、首都圏も3月7日の宣言期限で解除することを前もって表明する案だ。
待ったを掛けたのは感染症対策分科会の尾身茂会長だった。「首都圏解除の事前公表は絶対無理だ」。気の緩みによる感染リスクの増大は、絶対に避けなければならないと強く反対した。諦めきれない首相は西村氏に説得を指示したが、尾身氏は首を縦に振らず、プランは立ち消えとなった。
▽忖度の壁、情報過疎に
「このままではまずい」。1月17日、首相がうめいたのは、報道各社の世論調査に表れた内閣支持率の続落だった。
首相の頭をよぎったのは「感染収束の切り札」と繰り返し語ってきた新型コロナワクチン接種だ。もしも滞れば政権への打撃は免れない。首相は、情報発信力と突破力に定評のある河野太郎行政改革担当相を「ワクチン担当相」に任命し、乗り切ろうと決断する。17日に本人に伝達、18日には正式発表という「突貫工事」だった。
2月には、深刻な自殺者増の背景とされる「孤独、孤立」問題で、国民民主党の主張を受け入れて担当相を新設。3月には小泉進次郎環境相を気候変動問題担当に指名するなど、看板政策を担当させる閣僚の役割分担を進めた。
背景には、自民党内の足場の弱さがある。党の歴史で事実上初めて無派閥から首相の座に上り詰めた。安倍晋三前首相が出身派閥で党内最大の細田派を基盤にしたのに比べ、無派閥故に、苦しい局面でのサポートは貧弱だ。官房長官時代は、官僚を縦横無尽に操って情報収集したが、政権トップの首相になると、忖度の壁がいつの間にか、風通しをはばんでいた。
首相は最近、親しい議員に念を押した。「情報が以前のように入ってこない。時々情報を入れてほしい」
(了)
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