【伊藤鉦三連載コラム】WBCボイコット騒動で日本中から大バッシング

侍ジャパンの原監督は中日の“WBCボイコット”に不快感を示した

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(21)】2008年11月、ドラゴンズは日本中から大バッシングを受けることになります。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表候補に選出されていた5人の選手全員(岩瀬、浅尾、高橋、森野、和田)が辞退。「ある球団においては1人も協力しないということだった。やや寂しい部分がある」と侍ジャパンの原監督が発言したのをきっかけにマスコミだけでなくネット上でも「球団ぐるみでボイコットしたのでは」「中日は非協力的な球団」「反日ドラゴンズ」などと叩かれることになったのです。

落合監督は「ボイコットしたわけじゃない。辞退はあくまで選手個人の判断。若い選手は1年間働いたわけじゃないし、不安があるからできたら辞退したいと言ってきた。本人の意思を尊重しただけで、辞退の判断に現場もフロントもタッチしていない」と球団ぐるみでのボイコットを完全否定しましたが、なかなか騒ぎは収まりませんでした。

ただ中日内部に国際試合に消極的な空気があったのも事実でした。星野元監督が日本代表監督を務めた08年の北京五輪には川上、岩瀬、森野、荒木、チェン(台湾代表)の5人が参加したのですが、日本は準決勝で韓国、3位決定戦で米国に敗れてメダル獲得に失敗。リリーフとしてフル回転した川上と岩瀬はフィジカルもメンタルもボロボロになってチームに戻ってきました。韓国戦で敗戦投手となった岩瀬に対しては心ないファンからの誹謗中傷もあったようです。それだけに事実かどうかは不明ですが「やめとけ。損するぞ」とある首脳陣が言っていたという話もチーム内ではまことしやかにささやかれていました。でも球団ぐるみでのボイコットなどは絶対にありませんでした。

とはいえ、やっぱりドラゴンズの関係者としては肩身の狭い思いを感じました。06年に行われた第1回WBCでは王監督率いる侍ジャパンが優勝。日本中が歓喜の渦に包まれました。野球界の一大イベントに育ちつつあった第2回WBCに中日ドラゴンズだけが選手を1人も出さない。他の11球団の監督、コーチ、選手、関係者から「中日は自分のチームのことしか考えてない」と思われても仕方ありません。プロ野球界全体でWBC連覇を目指して一丸となっていく中で名古屋だけが、愛知県だけが取り残されている。何ともいえない複雑な思いが私の胸の中にもありました。

そんな中で迎えた09年1月1日。第2回WBCまであと2か月と迫ったお正月のことです。「カーン」「カーン」。ナゴヤ球場隣にある室内練習場で快音を響かせている選手がいました。その人の名はイチロー(鈴木一朗)。愛知県出身の日本プロ野球史上最高のプレーヤーがWBC連覇に向けてドラゴンズの練習場で一人牙を研いでいたのです。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、

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