長崎『諏訪神社の大つぼ』 ミャンマー・マルタバン産と判明 開港450周年展で公開

諏訪神社に長年保管されている「ミャンマー産黒褐釉大壺(マルタバン大壺)」(長崎歴史文化博物館提供)

 長崎市の諏訪神社に長年保管されていた大つぼが、16~17世紀に貿易港として栄えたミャンマー・マルタバン周辺で作られたものであることが、専門家の調査で明らかになった。明治期の長崎で活躍した貿易商人が奉納したもので、長崎を舞台にした当時の貿易活動がうかがえる貴重な資料という。
 つぼは高さ約1メートル、幅約1メートルの黒褐釉(こっかつゆう)陶器。県世界遺産課課長補佐の川口洋平さんによると、貯水や液体の貿易品を入れるなどの目的で使われた「マルタバン・ジャー(つぼ)」。東南アジアの国々では家財道具としてのほか、地域によっては富の象徴として家に飾られたり、儀式の道具として使われたりしたという。
 かつて東南アジアの貿易ネットワークの中で各地に運ばれ、長崎市や大分などの遺跡でもその破片が出土している。
 同神社のつぼは制作された正確な年代は不明だが、1911(明治44)年11月、社務所(現・貴賓館)新築記念に、諏訪町の貿易商人・澤田久米蔵が奉納したとされる。つぼの由緒書きには「当時の大阪博覧会に陳列された天下無類の珍品」などと記されている。
 澤田は明治期の長崎で活躍、東南アジア貿易で財を成した。1903(同36)年の大阪博覧会では、会場の隣に「余興動物園」を企画して東南アジアから連れてきた珍しい動物を展示したりしていたという。晩年には新大工町にあった劇場・舞鶴座のオーナーも務めている。
 今回の調査のきっかけは新型コロナウイルス感染拡大に伴い県庁がテレワークを推進したのがきっかけ。
 昨年4月、川口さんは在宅勤務していて、テレビで流れた映像に目がくぎ付けになった。長崎くんちの奉納踊り中止を伝えるニュースで、同神社の宮司の後ろに映る大きなつぼにピンときた。「東南アジア産の古いつぼだろう」。昨年末に機会を得て調査に着手した。
 川口さんは「長崎には貴重な資料がまだまだ眠っている。今年も長崎くんちの奉納踊りが中止になった中で、諏訪神社の資料が一般に公開されることの意義は大きい。つぼをきっかけに長崎の歴史だけでなく、現在のミャンマー情勢にも関心を持つ機会になれば」と話す。
 つぼは「ミャンマー産黒褐釉大壺(つぼ)(マルタバン大壺)」として、24日に長崎歴史文化博物館(同市立山1丁目)で開幕する「長崎開港450周年記念展~ふたつの開港~」で公開する。5月9日には川口さんの講演「長崎諏訪神社に眠るミャンマー大壺の謎を追う」、澤田久米蔵のひ孫でピアニストの松尾薫さんの演奏がある。講演・演奏の聴講には申し込みが必要。問い合わせは同館(電095.818.8366)。

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