ワクチン争奪戦、序盤圧勝した英国 変異株や血栓症公表時期に疑問も

By 佐々木田鶴

 世界ではなりふり構わぬワクチン争奪戦が繰り広げられている。イスラエル、英国、米国が見事な接種レースのスタートを切った。アラブ首長国連邦、バーレーンなどの中東諸国、チリ、ウルグアイなどもロシア産・中国産を受け入れて数字上では健闘。現在までに認可された新型コロナワクチンの開発と生産は、西側では英、米、欧州連合(EU)に集中。英米両国は輸出しなかったため、ロシア産と中国産を除くと、世界各国に出荷しているのはEUだけ。だがEU加盟国での接種は遅れ、特に英国との間で威信をかけた熾烈(しれつ)な争奪戦となった。さらにその陰で、英国への看過しがたい疑念も生じている。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)

ビオンテック=ファイザーのワクチンは、最近COMIRNATYという名前を商標登録した©kurita

 ▽大量生産、楽観視しすぎたEU

 筆者は、日本にワクチンを届けたビオンテック=ファイザー(以下ファイザー)工場のあるベルギーに住む。ベルギーには、ファイザー以外にも、アストラゼネカ(AZ)、ジョンソン&ジョンソン(J&J)など、現在までに実用化に達したワクチンの製造拠点の多くがある。

 日本の知人らからは「自国で製造してるから、優先的に供給されるのか」と尋ねられる。契約主体はEUなので、EUに納品されたものが、人口比で配分される。そのEUは1月末、突然、ファイザー社とAZ社から、納期が大幅に遅れると通告され、自らの無知を認めることとなった。

 「EUはワクチン製造の難しさを軽んじていた」「大量生産について楽観しすぎて、契約分は約束通りに納品されるものだと信じ切っていた」。EU委員会を率いるウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は吐露した。自身も医師免許を持つ彼女が、バイオ医薬のワクチン製造を甘くみていたと認めたのだ。

 確かに、mRNAやアデノウイルスなどを用いたこうしたワクチンの製造は、微生物が介在する微妙なプロセスで、平均約400にも及ぶ成分のサプライチェーンが影響する複雑な行程を踏む。規模の小さな研究開発機関や、これまでワクチンの大量生産を手掛けたことのないメーカーが、突然、数億回分というような量を納期通りに製造するのは針に糸を通すほど難しい。

ベルギーにあるファイザーのワクチン製造拠点ⓒKurita

 ▽英国ファースト条項

 2020年暮れ、英国のEU離脱(ブレグジット)で、自由貿易協定の交渉が大詰めを迎えていた。決裂する可能性も見込んだ英国の認可当局は、EUの当局(欧州医薬品庁、EMA)に先駆けて20年12月2日、一番乗りでAZ社のワクチンを緊急承認した。EUから英国へ、前倒しで大量輸入された商材や医薬品の中に、ベルギーの契約工場で製造されたワクチンも含まれていたらしいことを、EUは21年1月末になって初めて知らされる。

 AZ社との契約は英国よりもEUの方が早かった。だが、英国との契約の中に「英国ファースト」条項が含まれていたことをEUが知ったのは3月終わりのことだったと、複数の欧州メディアが伝えた。数量や価格などを含め、製薬会社との詳しい契約内容は一切明かされていない。EUは現在、AZ社を契約不履行で訴追することも検討しているという。

 4月23日付のEU委員会情報によれば、EU内で製造されたワクチンのうち1億5500万回分以上がワクチンの主要生産国でもある英国を始めカナダ、日本、南ア、オーストラリアなど87カ国に輸出された。特に、英国向けには1100万回分以上が輸出されてきた。

 EMAによるAZ社のワクチンの承認遅れは、高齢者の臨床データが不足していたことに負うところが大きい。一方、英国はそれでも認証を急いだ。結果、他国に先んじてワクチンを獲得することに成功した。

 こうして3月末までに、EUは接種レースで完全に英国に水をあけられた。

 EUは3月末の首脳会議で、今後の輸出は、二つの原則に鑑みて精査するとした。そのターゲットはあくまで英国でありAZ社だ。原則とは、「互恵性(reciprocity)」と「釣り合い(proportionality)」だった。

出足の失策を認めた欧州委員会のヴォン・デア・ライエン委員長 (c) European Union 2021

 ▽英国変異株公表、なぜ12月末?

 英国とEUの確執は、ブレギジット絡みの相互不信やプロパガンダが深くかかわっていることは確かだろう。だが、英国の行動には疑問がある。

 英国内ですでに猛威を振るっていた英国変異株の存在を、ジョンソン首相が公表したのは12月末のことだ。シークエンシング(遺伝子解析)で世界をリードする英国(現在、世界で行われているシークエンシング件数の約半数を英国が行っている)が、この変異株を確認していたのは9月だったのに。

 もしそうなら、昨年1月、新型コロナの情報公開の遅れが国際的に批判された中国の対応と同様に批判されるべきだろう。

 疑問はこれだけではない。

 AZ社のワクチンと血栓症の関係がEU加盟国のいくつかで疑われ始めたのは、3月上旬。オーストリア、デンマークを始め加盟国の多くが、自国内での接種を一時停止し、EMAによる再調査を求めた。結局、「AZワクチンによるプラス効果は、血栓症が起こるかもしれないマイナスの可能性を圧倒的に超える」ということで多くの国で接種が再開された。

 その判断根拠には、すでに2000万回以上のワクチン投与をしている英国で同様の症例が報告されていないということも大きかった。ところが、英国当局は4月7日になって初めて、英国でも同様の症例が79件出ており、うち19人が死亡していたと発表したのだ。

 試行錯誤の末、各国はそれぞれの判断で、AZ社のワクチン接種を中止するか、血栓症リスクが高いとされる若年層にはAZ社以外のワクチンを推奨するかを決めている。

 一連の騒動で、英国への不信感増大とAZ社のイメージ失墜は否めないだろう。英国政府の肝いりでオックスフォード大学が開発したワクチンを製造する英国屈指の多国籍製薬会社だ。その最高経営責任者は今、利益度外視で大量生産を急いだことに、後悔ともとれる懸念をもらしていると、ドイツの公共放送は伝える。

1回以上のワクチンを受けた人の人口比(Our World In Data、5月4日時点)

 ▽政治主導で巻き返すEU

 EU加盟国では英国変異株が80%を超え、深刻な状況を迎えている。さらなる厳しいロックダウンと遅々として進まない接種が、政府への不満と激しい抵抗となって爆発寸前だ。EUと各国政府は政治主導での巻き返しにスパートをかける。

 ファイザーのドイツ工場は本格的生産に入った。EUでも認可されたJ&Jの最初の納入分がベルギー工場から各国に配分され、いよいよ接種が開始された。  自国での開発を断念し、苦汁をなめたフランスは、モデルナ、ファイザー、キュアバックなどのライセンス生産に方針転換し、製造が進む。

 4月2週目にはベルギーでも「ワクチン受けたよ」の声があちこちで聞こえるようになった。ベルギーでは、ICチップ付きの身分証明書を、誰もが持つカードリーダーに差し込めば、ホームページから自分の順番を予測できるようになった。余り分を無駄にせず公平に分配するためのオンライン・ウェイティング・リストも開設された。一回以上の接種率が27%を超え(Our World In Data、5月4日付)、いよいよ筆者にも順番が回ってきた。

 EUは第2四半期(4~6月)に、J&J社5500万回分、ファイザー社2億回分、モデルナ社3500万回分、AZ社7000万回分の納入を見込む。  夏までには英、米、EUへの供給が満たされる見通しで、インドやブラジルなど爆発的感染が広がる国々から、英米への輸出規制解除や特許の一時放棄が求められ、米国は前向きで、ワクチン原材料と不要となったAZ社のワクチンを提供すると伝えられる。

 コロナワクチン争奪戦は、各国リーダーの交渉力と政治力の見せどころであったようだ。政治主導で、国内ライセンス生産を急ぐことは、今からでも価値ありと感じる。世界から完全に後れを取っている日本政府も、何をすべきか学んでほしい。

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