運命の男、デュラン・デュランのロジャー・テイラーと織りなす妄想ラブストーリー 1983年 4月25日 デュラン・デュランのアルバム「デュラン・デュラン」(USキャピトル・リイシュー)が米国でリリースされた日

デュラン・デュランのドラマー、ロジャー・テイラーから届いたはがき

1984年3月、私宛にはがきが届いた。その裏側には青いペンでクシャクシャッと何かが書かれていた。私の奇声が家中に響き渡った。

その前年、友人と行ったレコード屋で、私は運命の出会いを果たした。レコードジャケットに写っていたお兄さんに一目惚れした瞬間、「絶対この人と結婚する!」と誓った。彼こそはデュラン・デュランのドラマー、ロジャー・テイラー。そこから私はものすごい勢いで雑誌やレコードを買い、情報を逃さぬよう新聞のラテ欄をつぶさにチェックし、彼が好きだと言うアーティストの楽曲も聴くようになった。

当時仲間内ではベースのジョン・テイラーが一番人気だったので、ロジャーファンの私は地味だの背が低いだの言われたものだ。彼はイギリス人としては少し小柄で173センチほどだったが、当時私の身長はすでにそのくらいあったので(現在177センチ)、彼に釣り合う女になるため猫背になった。8歳差の年齢も、「15歳の私と付き合ったら、ロジャーがロリコンって言われちゃう!」と私は真剣に悩んだ。彼に釣り合うほどの大人に、早くなりたいと思っていた。

はがきの話に戻ると、その少し前に行われた来日公演には行けなかったので「せめてサインが欲しい」と、方々に往復はがきを送ったのだ。往信側につたない英語でロジャー宛に手紙を書いて、返信側に私の住所を書いて、全部で10通送った。その当時アイドルのファンがよくやっていた手口である。

忘れた頃にロジャーのサインが入ったものが1枚だけ戻ってきたのだが、どこに出したものが戻って来たのかがさっぱりわからない。そのはがきを投函してくださった方に、この場を借りてお礼を申し上げたい。

ロジャー・テイラーとお近づきになるために…

だが数ヵ月後、ロジャーはイタリア人の彼女と結婚してしまった。私はそれを知って号泣したが、「彼と私は運命的に出会って、絶対恋に落ちる。奥さんを苦しめてしまうけど、これは運命なの…」と、ものすごい妄想を始めたのだった。15歳にしていきなり不倫願望である。

高校生にもなって毎日「ロジャーと結婚する…」と唱え続けていた私に呆れた友人が「アナタ、今晩何食べたい? って英語で言えるの?」と聞いてきた。しかし、私は何も言えなかった。そこから英語の猛勉強が始まった。とにかく英語。英語さえよければすべてよし。おかげで英語だけは10段階の10になったが、他の科目は壊滅的だった。

とにかく彼とお近づきになるには是が非でも音楽業界に入り、そのためには大学に行かなければ、と(英語の)勉強にいそしんでいた高3のある日、「業界に嫌気がさしたロジャーがバンドを脱退、引退して農業に従事する」というニュースを耳にし、私は奈落の底に突き落された。

彼の結婚とは比べものにならないほど大きなショックを受けた。もう一生彼に会えることがないと思ったから。私は受験勉強の目的も、人生の目的も失った。何とか滑り込んだ大学で学位だけ取って、就職して、死ぬほど残業してドロドロになって帰宅する日々が続いた。

オリジナルメンバーでリユニオンを果たしたデュラン・デュラン

それから数年後、音楽番組でデュラン・デュランを見かけた。ぼんやりとミュージックビデオを観ていて、一瞬息が止まった。

ドラムを叩いていたのは紛れもなくロジャーだった。録画してあったので、それを何度も繰り返し観た。30代も半ばになっていたが、彼は間違いなく私の愛した男、ロジャー・テイラーだった。

当時はゲストとしての参加だったが、その数年後、デュラン・デュランは、彼を含めたデビュー当時のオリジナルメンバーでリユニオンを果たしたのだ。

2003年の来日公演に赴き、あれほど愛した人を、やっとこの目で、生まれて初めて直接三次元で見ることができ、落涙した。2005年にサマソニに出演した際も拝みに行ったのだが、どちらのライブでも、実はドラムセットの方しか見ていなかった。もう一生会えることはないと思っていただけに、本当に生きててよかったと心から思った(ところで農業はどうしたのかな?)。

あの日、あのとき、あのレコード屋でロジャーに会えなかったら、彼はいつまでも見知らぬ西洋人のままだったし、今の私もなかっただろうと思う。音楽という心の支えを得られたし(特にブリティッシュロック)、英語を猛勉強したおかげで仕事にも役立っている。

たまたま彼が私の好みの顔をしていたというだけで、私の人生を変える “運命の男” となったのは事実なのだ。

それはさておき、ロジャーのおかげで自分の妄想癖や猪突猛進型で一点集中型の性格、単純さ、バカさ加減もよーくわかったので、彼には感謝するほかない。

最近になって、ロジャーが件のイタリア人妻と離婚し、10年くらい前にペルー人と再婚していることを知った。地味で控え目な人だと思っていたのだが、実は陽気なラテン系が好みだったのだろうか?

まあ… もし何らかの理由で3回目のご結婚をお考えであれば、ここに8歳年下で、35年間あなたのことをお待ちしていた独身女性がおりますよ。

もうロリータだなんて年齢じゃないから、Don't worry!

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※2018年4月26日、2019年4月26日に掲載された記事をアップデート

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