マンチェスター・シティで活躍するドイツ代表MFイルカイ・ギュンドアン。
ドルトムントで活躍したことは有名だが、ゲルゼンキルヘン生まれの彼はシャルケでユース時代を過ごした選手でもある。『The Players Tribune』で当時の話をこう綴っている。
イルカイ・ギュンドアン
「両親や兄弟とは8か月以上も会えていない。他の親族とは1年以上もね。親友とも遠く離れている。
もちろん、それはパンデミックの一環だし、多くの人達が同じ状況にあることは分かっているよ。
でも、正直、(プロ)キャリアでずっと孤独感を感じてきた。家を出た18歳からこんな感じさ。
サッカー選手としてはやむを得ないと思う。
不満は言えないよ。僕らはリッチだし、有名だ。僕らは自分達が大好きなことをやることができる」
「このビジネスがどれほど残酷になりえるかを思い知ったのは8歳の時だった。
僕はゲルゼンキルヘンの子供全員が抱く夢を叶えたばかりだった。シャルケのユースに入団したんだ。
とても誇らしかった。エンブレムを身に着けるだけですごい気持ちになったよ。
1年プレーした後、彼らは僕をキープするか否かを決めるというものだった。
だから、『少なくとも1年は安心だ』と思っていたんだ。でも…」
「でも、僕は足首に問題が出始めた。医者に診てもらうと、半年はプレー禁止と言われてしまった。
学校では足首のための特別な靴下を履くはめになった。それによって、片足は小さい靴、もう一方はでっかい靴になったんだ。サッカーをプレーするのはもちろん、歩くこともままならなかった。
シーズンが終わるとシャルケは僕を退団させた。自分が感じたように言うなら、彼らは僕の首根っこを掴んでドアから投げ捨てた。
とても辛かった。ずっと後になって、それを理解するようになったんだ。
でも、当時は夢が破れ、キャリアが終わったように感じられた。
8歳でそれを経験した。地元のチームで友達とプレーするために家に戻ったんだ。ただ単にもう一度楽しみたかった。
3年後、両親に電話があった。シャルケが僕を取り戻したがったんだ。
僕は『嫌だと伝えて。行かない』と言った。(退団させられた)痛みはまだ生々しいものだったんだ。
両親はある程度僕を理解していたと思うけれど、実際はそれほどでもない。あれでまた夢が破れた。なのになぜ拒否したのか?
とはいえ、シャルケは僕にとって最初の拒絶だった。本当に傷ついた。
とにかく、両親が僕をシャルケに行かせようと勧めたことは一度もなかったよ。
彼らは僕に学校でうまくやってほしかっただけだった。
僕はいまでも学校の悪夢を見る。ウソじゃないよ。
古い答案用紙のことを考えて、冷や汗をかいて目を覚ますこともあるんだ」
8歳にしてシャルケのユースを退団させられたことに酷くショックを受けたというギュンドアン。
そのうえで、「(プロになった時に)シャルケが僕を拒否したことに感謝したことを覚えている。すでに大きな失望を経験していたので、もう一度苦しむことへの準備ができてきたからね。結局、それがニュルンベルクでブレイクし、そこで2シーズンの成功を収める助けになった」とも語っている。