<レスリング>【特集】キルギス悲願のオリンピック・チャンピオン輩出へ…アジア2位の実績を持つノルベ・イサベコフ・コーチに聞く

 

(文=布施鋼治)

男女を通じてキルギス初の世界チャンピオンに輝いたアイスルー・チニベコワとノルベ・イサベコフ氏=撮影・布施鋼治

 カザフスタン・アルマトイで開催されたアジア選手権の女子62㎏級は、大本命のアイスルー・チニベコワ(キルギス)が優勝した。すでに東京オリンピックへの出場も内定。2019年には同国人としては初めてオリンピック・スポーツでの世界チャンピオンになったことで、いまや国民的英雄となっているという。

 そんな彼女を育てたのは、同国女子ナショナルチーム・ヘッドコーチのノルベ・イサベコフ氏(54歳)だ。「女子のコーチは2011年からやっているので、もう10年以上になりますね」

 イサベコフ・コーチは12歳から18年間に渡って現役を続けた。若い頃は、旧ソ連の代表として活動していたと打ち明ける。

 「私は旧ソ連のレスリング・スタイルを踏襲しています。ダゲスタンやカフカス地方の南オセチア(現ジョージア共和国)のエッセンスも入っています」

最初の頃は失敗も多かった女子の指導

 1991年8月、キルギス(当時はキルギスタン共和国)が正式に独立を果たすと、同国代表として活動した。アジア選手権では、2度銀メダリストに輝いたという(1995・99年)。

1994年アジア大会(広島)で太田拓弥と闘うノルベ・イサベコフ氏(赤)

 「1995年の大会(フィリピン)では日本の太田拓弥選手とも闘い、私が勝っています。アトランタ・オリンピックの前の年ですね。太田選手はサムライのような強い精神を持ったレスラーでした。6分間、ずっと闘い続けることができる能力を持ち合わせていました」(注=太田氏の名誉のため、この試合は明らかな誤審だったことを再下段に付記します)

 現役引退後、すぐにキルギスのジュニアの男子ナショナルチームのコーチに就任した。それから、なぜ女子のコーチに?

 「当時、キルギスの女子レスリングはすごく弱かったからです。わが国のレスリング協会はてこ入れのため、私を女子ヘッドコーチとして起用しようとしたのです」

 そのとき、アイスルーはすでにナショナルチームに入っていたという。「まだ新人でしたが、大きな可能性のある選手だと思いました。彼女の才能に目をつけ、私はヘッドコーチ就任を承諾しました」

 女子の指導で心がけたことは?

 「最初の頃は失敗も多かった。女性の心理を研究するようにしました。それから試行錯誤の末に進めていきました。選手とともに、私も成長できたと思います」

もっとも大切なことは、自分を信じて闘うこと

 イサベコフ・コーチは男子と女子で指導は異なると力説した。「男子は放っておいてもやる。女子はコーチとの信頼関係がなければ、なかなかやらない」

 キルギスの女子は、すでに東京オリンピックの出場枠を62・68・76㎏級の3階級で取っている。

2019年世界選手権で優勝したチニベコワは、試合後、歓喜の涙とともにイサベコフ・コーチに抱きついた

 「オリンピック代表の3選手を含め、現在は5人の選手を中心に教えています。アイスルーを除けば、みな小さい頃からアカデミーで鍛えた選手です。残念ながら女子の選手数は少ないので、ピンポイントでいい選手を徹底的に育てていく方針を立てています」

 日本の代表の中で印象的な選手を聞くと、次々と名前を挙げた。

 「57㎏級の(川井)梨紗子、50㎏級の須﨑、62㎏級の(川井)友香子、53㎏級の向田。日本は軽量級が強いと思いますね」

 日本を攻略する自信は?

 「レスリングはスポーツ。自分を信じて闘うだけです。それが最も大切なこと」

 すでに日本選手の分析は着々と進んでいるような口ぶりだった。

協会機関誌「月刊レスリング」1995年8月号

 

 

 

 

 

 

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