<金口木舌>共感と理解の間で

 最近の若者言葉には時々ついていけなくなる。「それな」(=共感、同意)は、まだ分かる。「レベチ」(=レベルが違う)「あーね」(=あーなるほどね)となると、もはや当方にとっては外国語のよう

▼逆に身近な日本語も外国人には理解しにくいらしい。「なぜ20歳だけ『はたち』というのか」と問われ、困ったことがある。若者言葉もさることながら、日本語も難しい

▼こう考えると翻訳の難しさが分かる。たとえば「シンパシー」と「エンパシー」の違いは何か。英国在住のコラムニスト、ブレイディみかこさんは前者は「誰かの問題を理解し、気に掛けること、共感」、後者は「他人の感情などを理解する力」と説く。やっぱり難しい

▼共感と理解の開きを考える。たとえばLGBT(性的少数者)や夫婦別姓。共感できない人もいよう。しかし拒絶するだけでいいのか。立場を超え相手を理解しようとする力、エンパシーが求められている

▼オリンピックはどうだろう。選手の熱戦に期待し、共感したい。でもコロナ禍での開催強行は理解し難いという人も多い。五輪に絡みつくねじれた思いを解きほぐすのは難しい

▼県内でも聖火リレーが始まる。「オリンピックトーチ」を聖火としたのは名訳だろう。歓迎したい気持ちと同時に、これでいいのかという疑問も拭えない。共感と理解の間で炎が揺れている。

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