ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.18 〜ヨーロッパを目前にして優雅で退屈なクルージング〜

ロシアのサンクトペテルブルクからドイツのリューベックまで、バルト海を渡る国際フェリーを利用することにした金子氏と田丸氏。 2人とカルディナを乗せたトランスフィンランディア号は、 その舳先をドイツヘと向けてゆっくりと出航した。1ヵ月を過ごしたロシアを離れ、次なるヨーロッパの陸地に上がるまで約60時間。それは暇との戦いでもあった。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.17 〜ヨーロッパへ「レッツ、ゴウ!」〜

フェリーで渡るバルト海

サンクトペテルプルグのフェリー埠頭で、いい加減待ちくたびれていた。午後7時が出航予定なのに、もう6時を回っている。ドイツ・リューベック行きのトランスフィンランディア号に乗るのは僕らのカルディナだけじゃないわけだから、のんびりしていていいはずはない。でも、何も始まる様子がない。ここは単なる岸壁で、回りには何もない。ゲートをくぐって出国してしまったから、街に戻ることもできない。

船会社職員のナターシャも婦宅してしまったのか、見当たらない。早く乗船して、シャワーでも浴びたいのに、始まる気配が何もない。

ようやく6時30分を回ったところで、ツナギの作業着の男ふたりが、停車中のクルマの間を回って、乗船を促してきた。僕らにも、ロシア語と身振りで“行け、行け”と言う。

トランスフィンランディア号は、船尾を桟橋に接岸し、開口部を開けていた。乗船するのは、カルディナとトラック4台だけらしい。

昔のソ連軍人のような緑の制服を着た女性職員が何か書類を記入しながら、近付いてくる。

「この文字は何と読むのだ?」

屈みながら、ポールペンで練馬をカンカンと叩いている。たぶん、そういうことを聞きたいのだろう。

「ネリマ、ネリマッ!」

「わかった、もういい。行け!」

4ケタの数字だけを記すと、仏頂面をして、僕らを追い立てた。

だだっ広い船倉の右端奥にカルディナを停めるよう、船員に誘導される。停めたが最後、3泊4日の間は船倉に戻って来ることはできないから、身の回りの荷物をすべて大型スーツケースとパソコンの入ったブリーフケースに押し込んだ。船室は、船の壁の部分内にある階段を上った3階にあると指示された。

重い荷物を担いで狭い階段を駆け上がる足取りが、なぜかふたりとも速い。小走りといってもいい。何かに急き立てられているわけでもないのに駆け足になっているのは、いろいろあったロシアともこれで離れられるという安堵感からだろうか。あるいは、ユーラシア大陸を横断する旅がなんとか終盤を迎えられた高揚感からだろうか。おそらくそのどちらでもあるのだが、長時間待たされたことからの解放感も大きい。

チェックインをするために食堂に行くと、チャールズ・ブロンソンに似たマネージャーが部屋の鍵と引き替えに僕らのパスポートを取り上げた。

「ディナー、エイト・オクロック。イミグレーション、ナイン・オクロック」

一方的に告げると、キッチンの奥に消えていった。

悪くない食事サービス。熱いサウナにシャワー

与えられた階下の部屋へ向かった。この船は、客船ではなく、トラックを運ぶことを主目的としているが、殺風景なところはなく、船内は清潔で明るい。食堂も華美なところはないが、広々としている。1970年代中頃の造形センスが伺える。

部屋はツインベッドルームだが、伏木港からウラジオストクまで乗ったRUS号の2段ベッドがふたつ置かれた部屋よりも広い。テーブルを挟んで、シングルベッドが進行方向に対して直角にひとつずつ設置され、残りのスペースにバスルームと荷物スペース、クローゼット、小机が用意されている。広く、使いやすい点では、RUS号のそれをはるかに凌いでいる。

「もう一週間待てば、同じ料金で、はるかにラクシュリーな旅ができるけど、どうする?」

サンクトペテルブルグに着いた日に予約確認に出向いたバルティックラインズのオフィスで質されたが、僕らは一週間も待てなかった。トラック輸送船と間いて、ある程度の覚悟はしていたが、ちょっと拍子抜けした。これはこれで上々じゃないか。

初日の晩ご飯は、前菜に生ハムとポテトサラダ、メインディッシュがウインナーシュニッツエル。ビーフカツレツだ。味も悪くない。別料金のベックス・ビールの小瓶を2本ずつ飲む。

他のテーブルには、トラックの運転手が4人。ロシア人らしい3人は仲間か顔見知りのようで、和やかに談笑しながら食べている。もう一人の、ちょっといい男風のドイツ人はひとりだ。

食事が終わると、イミグレーションだ。伏木港を出港した時のように、男性ふたりと女性ひとり組みの税関職員がやってきて、食堂奥のサロンのテーブルの上に各種の書類やスタンプのセットなどを広げて準備している。

乗客は、ソファに腰掛けて、遠巻きに税関職員の作業を眺めているだけで、特に何かを強いられるわけでもない。簡単にイミグレーション作業が終わったあと、ブロンソンがウイスキーかブランデーを数本、紙袋に入れてソッと渡すのを見た。ワイロなのかな。

もうひとつRUS号よりも優れているところが、トランスフィンランディア号にはあった。立派なサウナ風呂が設えられているのである。二十畳以上はありそうなくらい広く、立派なサウナだ。熱量も十分以上で申し分ない。シャワーのお湯もスイッチを捻った瞬間に熱湯がほとばしる。ロシアに上陸してから、こんなに勢いの良いシャワーを浴びたのは初めてだ。やっぱり、エンジンという強力な熱源を持っている船だけのことはある。

サウナから上がったら、緊張が一気に解けて眠くなった。食堂奥のサロンで4人のトラックドライバーたちはビデオで映画を観ているが、僕らは床に就くことにした。

持て余す退屈な時間。陸上とは対照的な数日

翌朝、午前6時前に目を覚まし、窓から外を眺めると、抜けるような青空の下にこれまた紺碧のバルト海が広がっている。ただし、波頭が白く崩れるところを見ると、風が強そうだ。顔を洗ってデッキに出てみると、案の定、強くて冷たい風が吹きまくっている。Tシャツの上にウインドブレーカーを羽織ってきたのに、寒くて立っていられない。

ロシアとドイツを結ぶ航路を所有しているのは、フィンランドのフィンラインズ(Finnlines)社。船籍を示す3国の旗。
細長い入り江をゆっくりと奥へ進んでいく。もう間もなく、北ドイツのリューベック港に到着する。なんだか映画の1シーンのような風景だった。

午前7時すぎにブロンソンから部屋に電話が掛かってくる。朝食の呼び出しだ。

食堂に行くと、すでに4人のトラックドライバーたちは食べ始めている。ヨーロッパのホテルと同じようなビュッフェ形式で、並んでいるのは数種類のパン、ヨーグルト、果物、数種類のハムとチーズ、ゆで卵、スライスされたトマト、ジュース類にコーヒーと紅茶。十分に満足できる内容だ。

ドイツのリューベック港に到着するのは、4日目の朝の予定だから、今から約48時間はこの船に乗っていなければならない。

トランスフィンランディア号のサロンには、大勢の乗客にも対応できる立派なバーカウンターがあった。しかし、わずか数人しか乗っていない客のためには開けられないのか、シャッターは降ろされたまま。船内で購入できるアルコールはビールのみだった。

この48時間が退屈だった。デッキは風や雨で日向ぼっこもできないし、サロンのビデオはドイツ語かロシア語に吹き替えられているものばかりだ。本も、軽量化のために20世紀のロシア美術史に関する岩波新書を一冊しか持ってきていない。その一冊も、文章が生硬で読みにくくて、ページをめくる手が進まない。それでも、昼寝をし、サウナに入り、英語版のビデオ映画「ファスト・アンド・フューリアス2」を見付けて見たりして、なんとか暇を潰した。

僕らがうっかりしていたのは、サンクトペテルブルクを発つ前に、酒を仕入れてこなかったことだ。サロンには立派なバーカウンターが設えられているのだが、客が少ないからかシャッターが下ろされている。ブロンソンに訊ねても、積んである酒はビールしかないという。おまけに、ブロンソンは僕らが食べ始めるのを確認すると、スッと自室に消えてしまうのである。2日目の晩はそれに気付かなかったから、またベックスビールを注文しようとした時には、いなくなってしまっていた。

たっぷりと昼寝をしているので、ちっとも眠くない。飲む酒も、読む本も、見るビデオもない。でも、時間だけはたっぷりとある。これは、かなりツラいですよ。

新鮮に思えたヨーロッパ。4日目にドイツヘ上陸

フェリーで運ばれているのは、ほとんどが荷物だけの大型トレーラーだ。運送会社の人件費を考えれば、それももっともなことである。

3日目の昼前に、旧東ドイツのサスニッツという小さな港に到着した。積み荷の出し入れはあったのかも知れないが、乗船しているメンバーは変わらない。

入り江状になった港をデッキから眺めると、街並みと建物がドイツ的に整理整頓された小ざっぱりとしたところにヨーロッパを強烈に感じる。クルマの新しさとキレいさも、ロシアにはなかった。たった1ヵ月間だったけど、ロシアの光景にこちらの目が慣れてしまったらしい。昔、初めてドイツを訪れた時と同じ、新鮮な感覚にとらわれた。

暇は3日目も変わらず、それでもドイツ人のトラックドライバーと親しくなり、少し話をした。彼が持っていたADACの地図帳を見せてもらいながら、リューベックからのルートを教えてもらった。それは数年前の地図帳で、使用するのに何の支障もないのに、彼は説明が終わると僕らにくれた。

4日目の朝は、夜明け前から眼が覚めた。早く上陸して、走りたい。薄明かりの先に、リューベックらしい港が見える。徐行しているから間違いないだろう。両側はすぐに陸地が迫り、細長い入り江の奥にあるようだった。ベタ凪の中を、トランスフィンランディア号は静かに進んでいく。なぜか「地獄の黙示録」の冒頭のシーンを思い出した。
(続く)

手にしているのは、船内でドイツ人ドライバーが譲ってくれたADAC(ドイツ自動車連盟)発行の地図。これからドイツを走る。

[ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.18 (6)]

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko

自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru

フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの 製作販売 も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の 連載ページ を担当撮影をし6シーズン目に入る。

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