森良太 - 森良太が描く音楽家としての起点と未来

もっと根本にある人間の欲求

──noteに森さんが書かれていた言葉を借りれば、「深淵に向かう手応えをもう一度取り戻すため」に、さまざまな活動を行いながら、新しいところに向かっている真っ最中ですが、今のところどんな手応えがありますか?

森:弾き語りに加え、他のメンバーも交えて、Brian the Sunとはまた違う形の音楽をやろうというのを、なんとなく手探りで始めて、やっと形になりだしたと言うか、手応えは確実にあります。もちろん、Brian the Sun像っていうのがあると思うので、「それはいったん横に置いておいて」ってお客さんに求めるのはちょっと違うじゃないですか。みんな、Brian the Sunの森良太を見にきてたと思うんですよ。ただ、そこは時間の問題で、みんなが段々慣れてきたら、「これだよね」って思ってもらえるようにはなっていくのかな。自分がやることに関しては、だいぶ見えてきたので、もっと幅広くこだわりなくやりたいと思っています。その中で勝手に削ぎ落されていくのを今、待っているところですね。最初は肉付けがされまくって、それが生活していくうちにと言うか、歌っていくうちに削がれていくんじゃないかって思ってます。

──Brian the Sunの森良太を期待していたお客さんもそのうち森良太が今やりたいのは、こういうことなんだとわかってくれるはずだ、と?

森:わかってもらえればベストですけど、無理という人もいると思います。そもそもバンドの延長がやりたかったら、Brian the Sunをやっているので、それが見たい人はもしかしたら「違う」ってなるかもしれないけど、それはしかたない。シンガー・ソングライターとしての森良太が好きだった人は楽しいと思います。バンドとしてのパッケージングが好きだった人には何かしら違和感があると思うんですけど、そうなったほうが僕はむしろBrian the Sunの存在意義があるので、そのほうが全然安心ですね。どこかのタイミングで、「またやろうか」ってなった時に、そっちを見にきてもらえればいいしという気持ちです。

──今、肉付けてしているところとおっしゃったようにライブをやったり、楽曲の制作過程を、dropboxを使ってファンと共有する「Project Open Source」という新たな試みに取り組みながら、その「Project Open Source」の中ではラジオ番組もやったりと既成のスタイルに囚われない、さまざまな活動に取り組んでいますが、5月2日に配信リリースするEP『杪春の候』を一緒に作った鈴村英雄さん(Ba)と田中駿汰さん(Dr)とのトリオ編成がいろいろやっている中での軸になると考えているんでしょうか?

森:その認識です。やっぱりバンドの最小単位って3人だと思うんですよ。だから、最初は3人でしょみたいな気持ちでやり始めました。

──ソロになってもやっぱりバンドはやりたいわけですね?

森:人と音を鳴らすって、めちゃめちゃいいなと思うので、バンドはやりたいですね。この間、リズムが存在する意味がビールを飲みながらYouTubeを見てたらわかったんですよ(笑)。アフリカの人たちが3人で1本の杭を打つ作業をしているんですけど、1人がパーンと打ったら、次の人が打つ。それをリズムよくやるために歌いながらやっているんです。あ、音楽ってこのためにあるんだって。日本の田植えもそうじゃないですか。

──田植歌を歌いながらやりますね。

森:だから生まれたのかって。ただの娯楽としてテケテケ叩いているだけでも楽しいけど、それよりも1つの物事をみんなで完成させるためにあるんだって目から鱗が落ちました。1人でやる音楽も好きですけど、何人かでやって1つのライブを作るとか、音楽を作るとかっていうのは、本能と言うか、自分がそれをやりたいと言うよりは、もっと根本にある人間の欲求なんだと思います。

──そうか、人間としての欲求なのか。それが形になったEPについては後ほど聞かせてください。その前に森さんのミュージシャンとして遍歴を、音楽に興味を持ったきっかけから改めて聞かせてほしいのですが、なんでも幼稚園から小学校6年まで合唱団に入っていて、同時にピアノも習っていたそうですね。

森:はい。ちょっとだけ習ってました。

──その頃には歌うことやピアノを演奏することが楽しいと思っていたんですか?

森:う~ん、僕が入っていた八尾児童合唱団って当時、人数がけっこういたんですけど、コーラスがハモッた時にビビビって音が揺れるのを聴いてすごいなと思ったのが、音楽って楽しいと言うか、気持ちいいと思った最初かも知れないです。もっとも、当時はそれが気持ちいいことなのか、楽しいことなのか、全然わからずにやってたし、全員が違うパートを歌うことの意味もあんまりわかってなくて、何のために毎週ここに来てるんだろうって思ってました(笑)。でも、今思えば、そこでやっていたハーモニーを重ねるってことが今、音楽を作る上ですごく役立っているんです。

──合唱団に入ったきっかけは?

森:自分の意志じゃなかったです。おばあちゃんがクラシックや合唱が好きだったり、おじいちゃんが交響楽団を作って、指揮者をやったりしていたので、そういう影響ですね。音楽家系ではあるんですよ。

──お母さんは歌手でしたよね?

森:そうです。テレビアニメ『らんま1/2 熱闘編』のエンディング・テーマ「虹と太陽の丘」を歌っていたので、Brian the Sunが『僕のヒーローアカデミア』のエンディング・テーマ(「HEROES」)を歌うことになってびっくりしました(笑)。

──13歳の時にギターを始めたそうですが、その頃には現在の活動に繋がるような音楽は聴いていたんでしょうか?

森:当時は斉藤和義さんばかり聴いてました。『Golden Delicious』ってアルバムが出て、それを聴きながらすごいと思ってました。ギターを始めたきっかけは自分からと言うよりは、中学の国語の先生が夏休みに教室のペンキを塗り直すっていうんで、それを手伝ってたら、「ギターを買ったんだ」って持ってきて、「やってみいひん?」って言うからやってみたんです。それ以外にもきっかけはいろいろあったと思うんですけど、実際、手に取って、練習を始めたきっかけはそれでした。

──ギターは斉藤さんの曲をコピーすることから始めたんですか?

森:そうでした。片っ端からコピーして、弾き語りの基礎はそれで学びました。

──中学時代には路上ライブもやっていたそうですね。

森:歌う場所がなかったので、路上でやるかって(笑)。

──なかなか度胸がないとできないと思うんですけど(笑)。

森:最初は、おかんに連れていかれてと言うか、たまたまギターを持って、一緒に歩いてたら、「あんた、歌ってみいや」って言われて、歌っていいんだ。じゃあ歌ってみようって思ったんですよ。

──その時、お客さんと言うか、道行く人の反応って何かあったんですか?

森:酔っぱらいのおっちゃんが5,000円くれて。歌が良かったからじゃないっていうのはなんとなくわかったんですけど、そういう形で人とコミュニケーションを取ったことがなかったので、「なんでくれるんだろ? へぇー」って思いながら楽しかったですね。5,000円なんてね、お小遣いでもらおうとしたら中学生には難しいじゃないですか。

──その時は斉藤さんの曲を?

森:自分の曲だったと思います。「自分の曲を歌え」っていうおかんからの教えがあったんですよ。「人の曲を歌ったら著作権があんねんから」って。

日本だけでやっていたいわけじゃない

──その頃にはもう、音楽を真剣にやっていこうと考えていたんですか?

森:TEENS' MUSIC FESTIVALっていう大会に中学2年生の時に弾き語りで出たんですけど、とんとんと勝ち上がって、あ、自分って歌っても大丈夫なんだと思ったんですよ。その時、絢香さんとか、松室(政哉)君とか出てて、当時から2人ともすごかったんですけど、2人が歌うのを見ながら、へぇ、世の中って広いなぁって思ってました。

──そして、高校でBrian the Sunを結成したわけですね。

森:ベースの(白山)治輝と出会って、軽音楽部で組みました。僕らが行った高校の軽音楽部はバンドを組まないと入れなかったので、最初は全然違うメンバーと違う名前のバンドを組んだんですけど、誰も練習しないから、やる気のあるメンバーと組み直したのがBrian the Sunだったんです。

──あれ。ひょっとしたら、弾き語りでも軽音楽部に入れたら、バンドを組んでなかったかもしれない?

森:組んでなかったかもしれないです。

──じゃあ、Brian the Sunを組んでから普段、聴く音楽も変わったんですか?

森:治輝がいろいろ聴かせてくれましたね。それまでは邦楽のロックは、そんなに興味がなかったんです。基本、洋楽しか聴いてなかったし、斉藤和義さんがロックなことも含め、全部やってたんで、それだけ聴いてればいいと思ってたんですけど、初めてアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)を聴かせてもらったとき、うるさっ! と思ったんですよ(笑)。これ何⁉と思って、全然好きじゃなかったんですけど、聴いているうちにかっこいいかもと思うようになりました。そうやってアジカンはクリアしたんですけど、その次にミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)を聴かせてもらった時も、うるさっ! 音悪っ! って思ったんですけど、それも聴いてるうちにクリアして(笑)。今聴くと、ミッシェルってめっちゃ音、いいと思うんですよ。最初聴いたとき、うるさっ! と思ったことを、今、思い出してちょっとハッとしました。それを考えると、ロック・バンドをかっこいいと思う感覚って、やっぱり後天的なものなんだって。いろいろな知識があった上で、ここにいなさいという枠ができた後に聴いて、その枠を跨いでもいいと教えてくれるのがロック・バンドなんだという気がします。その意味では、音楽云々よりも思想のほうが自分の中では大きい。「ロックってこんなに音を歪ませてもいいんだ。へぇー」みたいなところを超えさせてくれるものがロック・バンドなんだと今、話しながら思いました。それを超えさせてくれたのが自分にとってはアジカン、ミッシェルだったような気がします。たぶんアジカン、ミッシェルを聴いたとき、うるさっ! と思ったのはある種の防衛本能だったと思うんですけど、そこからスマパン(スマッシング・パンプキンズ)、ニルヴァーナを聴くようになって。それまでは洋楽と言ってもダフト・パンクとか、ファットボーイ・スリムとか、ベン・フォールズ・ファイブとか、カーディガンズとか、ガレージやグランジとはちょっと毛色が違うロックを聴いてたんですよ。たぶん、それはおかんの趣味なんですよね。おかんのCDラックにあったものを順番に聴いていって、響いたのがそれだったんです。

──『杪春の候』の3曲では、ガレージやグランジを思わせる轟音のロックを鳴らしていますね。

森:2人と出した音がそれだったんです。でも、その後、全然違うタイプの曲もできたので、その意味では、幅広くこだわりなく作っているんですけど、その中で今回、配信リリースする3曲が順番として最初に出てきたってだけで。全部出した後、振り返ったら、すごい幅があるねってことになると思います。EPの3曲がそうなったのは、もちろんBrian the Sunの延長ってところもあると思います。Brian the Sunでやっていたギター・ロックの音像が体に染みこんでいる状態で、3人で演奏してみたら、Brian the Sunとは違うものができた!なるほど! みたいな感覚はありましたね(笑)。最初はもっと楽器が入っていたんですよ。ピアノも入っていたし、ギターももっと重ねてたし。5、6バージョン作って、一番簡素な形で出すことにしました。どちらかと言うと、自分の中ではデモ的な意味合いのEPなので、これが完成品と言うよりは、ここから変わっていきたいし、もう1回録音したいし。だから超シンプルな形で出すことにしたんです。

──3曲どれもかっこよかったです。

森:そう感じてもらえてよかったです。むちゃくちゃシンプルに作ったので、音の隙間もめっちゃあって。本当はもっと埋めたほうが聴きやすいと思うんですけど、敢えて隙間だらけにしました。ストリングスを入れてもいいぐらいに思ってたんですけどね。全部抜きました。今までの制作の現場って言うか、売りたいって発想だったら入れたほうが派手になるんで、入れてたと思うんですけど、最初は可能性がいろいろ感じられるプレーンなものでいいだろうと考えたんです。それに簡素なスタイルにこだわるのには、やっぱり機動力が高いからっていうところもあって。というのは、日本だけでやっていたいわけじゃないんですよ。

──なるほど。そこも考えているんですね。

森:コロナ禍が終わって、海外に行けるなら、どんどん行きたいんです。全世界どこでも呼ばれたら行くぐらいに思ってるんですよ。国内の需要に合わせていくつもりはなくて、ちょっと顔を上げて、周りを見渡せば、日本のギター・ロックを最高にかっこいいと思ってくれるところがあるかもしれない。もちろん、日本は大事なんですけど、でも、もうそういう次元じゃなくない? っていう。言葉の壁はあるにせよ、もっと広く外に出ていっていったほうがいい気がしてますね。日本だけ見てると不安なことはたくさんあるけど、世界を見たとき、音楽人として生きていく方法は山ほどあると思うんですよ。話はちょっと変わりますけど、正直、今の日本のヒット・チャートには個人的には全然ときめかないんです。仕組みがわかってしまってるから、あぁ、次はこの人らが売れるんだろうって言うか、この人らを売るんだろうなってわかるんで、それならヒット・チャートに入るような音楽じゃなくて、本当の意味でときめくような音楽を作りたい。今、日本に飼い馴らされていないロック・バンドがいるかっていったらいないじゃないですか。そんな状況に抗うような生き方をしたい。でも、それって何なんだろうって考えたとき、日本の中でどれだけがんばって、そこに牙を剥いてもスケールが小さいままで終わることがわかってるから、だったらやっぱり外に出ていくべきだろうって。

思想だけでも抗っていたい

──今のお話を聞いて、EPに収録されている「杪春の候」「楽園」の歌詞に、どんな思いを込めたのかがよくわかりました。

森:世の中の仕組みは、小さい魚がでかい魚に食われるようになっているんですよ。それが進んでいったらどうなるかと言ったら、世界は1つになっていく。お金を含め、パワーが1か所に集まっていくって当然の流れじゃないですか。アップルだってCPU を、ついに自社で作り始めたし、音楽の世界でも似たようなことが起きてくる。全員がiPhoneを使っているという状況を想像したら怖くないですか?

──確かに。

森:でも、自分も含め、みんな、それがわかっていながら便利だから使う。それならせめて思想だけでも抗っていたいと思ったんです。

──それが音楽を含め、アートの役割というところもありますからね。さて、5月7日に新宿LOFTで開催される「LOFT三つ巴ライブ2021」についても聞かせてください。バンド編成のライブとしては、ソロ転向後、初の東京公演となるわけですが、それならやっぱりBrian the Sunにとって東京のホームとも言える新宿LOFTでという気持ちもあるんでしょうか?

森:樋口さんというブッキング・マネージャーの存在が大きいですね。僕らの世代のちょっと前からギター・ロックのシーンをずっと見守ってきた方なんです。イヤなことはイヤとはっきり言うところも気が合うし(笑)、何より僕ら、ずっとめんどう見てもらってたから、こんなんやってますよって見せたいし、見てもらいたいし、それを見て、どう感じるのか知りたいし。

──Brian the Sun時代、新宿LOFTでは2015年の自主企画ライブをはじめ、バンドにとってマイルストーンと言える数々のライブをやってきましたし、何よりも活動休止前の最後の東京公演は新宿LOFTでしたしね。

森:それに新宿LOFTはパワーのあるハコだとも思うんですよ。他にも出たいハコはいっぱいあるから、東京にはいっぱい来たいですけど、1発目はLOFTでしょって。EPのリリース直後っていういいタイミングでのライブにもなりますしね。

──どんなライブにしたいですか?

森:シンプルなライブにしたいです。曲によってちゃんと気持ちが変化して、今まで平凡に思っていたものがすごく貴重なものに感じられる瞬間を、ライブの中で見つけられるように演奏したいし、歌いたいと思っています。

──そのライブ以降の活動については、どんなふうに考えているのか、最後に聞かせてください。

森:本当に行き当たりばったりなので、まだ何も決めてないです(笑)。ただ、自分がやっているってことを、まだ仲間にすら周知できてないんですよ。近くにいる人たちはわかってくれてるんですけど、こうやってちょっとずつ広げる作業をしていったら、「おもろいことやってるやん」って絶対思ってもらえるはずだし、そこからまた広がっていくと思うので、もうしばらくは水面下の活動が続くと思います。でも、そこから表に出てきたとき、おもしろい形になりだすと思うので、それまではみんな、ライブを楽しみにのんびり待っててください。

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