【高校野球】選抜での選手宣誓から9年… 超進学校の副部長になった石巻工元主将が伝えるモットー

仙台一・硬式野球部の副部長となった阿部翔人さん【写真:高橋昌江】

石巻工の捕手として選抜出場、この4月に仙台一に赴任&公式野球部の副部長に

2012年の選抜高校野球大会に21世紀枠で出場した石巻工(宮城)の元主将・阿部翔人さんが昨年の教員採用試験に合格。今月、仙台一に赴任し、教員としてのスタートを切った。部活動では硬式野球部の副部長となり、再び甲子園を目指している。仙台一は宮城県屈指の進学校で、硬式野球部からは3学年連続で東大合格者を輩出。野球も勉強も「二兎を追う」をモットーにするチームで指導者となり、「頑張ってきて良かったと思えるのが甲子園だった。その環境や場所を与えたいと思って教員になったので、それを目指すことの大切さを伝えたい」と意気込む。【高橋昌江】

日が沈み、グラウンドに照明が灯る。その明かりも届きにくい右翼付近で、阿部副部長は外野陣にノックを打っていた。短い距離でクッションボールへの対応や緩い打球への反応など、バリエーションを交えて打球を放つ。ノックを終えて一塁ベンチ前に戻ると、正捕手の高橋大我(3年)が数日前の実戦練習で起きたプレーについて質問にやって来た。

甲子園を経験し、捕手でもあった阿部副部長の赴任を知り、高橋は「来るのを楽しみにしていました」という。千葉厚監督の高校時代のポジションは内野。元楽天の枡田慎太郎コーチも内外野を守る強打者だった。捕手という特殊なポジションを経験した指導者が来たことで「自分にとって捕手を経験した指導者は初めて。自分にない部分があってすごい。タメになる助言ばかりです。細かいところも見てくれて、捕手でしか分からないミスも指摘してくれます。いろんなことを吸収して、自分のプレーに生かしていきたいです」と心を躍らせている。

2年生の平塚悠一郎捕手は紅白戦で「場面に応じた指示の声の出し方を教えてもらいました」と言い、やはり「捕手目線の意見をくださるのは貴重です」と喜ぶ。阿部副部長がクラスの副担任でもあり、「毎朝会います。体育では“一高体操”というのがあり、『完璧にできるんだろうな』とプレッシャーをかけられました」と笑う。平塚の父・誠さんは今春の選抜大会に出場した柴田の監督。甲子園で試合を観戦した平塚は「言葉に表せない舞台で、自分も立ちたいと思いました。阿部先生には高校時代、甲子園に向けてどんな意識で取り組んでいたのか聞きたいです」と目を輝かせる。

阿部副部長は石巻工の捕手として2012年の選抜大会に21世紀枠で出場。東日本大震災の翌年にたどり着いた夢舞台で、主将として選手宣誓も引き当てた。「東日本大震災から1年。日本は復興の真っ只中です」と話しはじめ、甚大な被害があったふるさと・石巻の思いを乗せ、仲間と考えた言葉を噛み締めるように続けた。

「被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本が一つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」

今春、東京大学に現役合格を果たした大友剛さん【写真:高橋昌江】

仙台一は野球部から3学年連続で東大合格者を輩出している

石巻工から日体大に進学し、保健体育の教員免許を取得。大学卒業後、石巻で4年間、非常勤講師として勤めた。3年目は石巻西、4年目は志津川でも非常勤講師を掛け持ちしながら教員採用試験に挑み続け、昨年の5度目の挑戦で合格を掴んだ。初任の高校が仙台一に決まった時は「まさか」と驚いたという。県内屈指の進学校である仙台一に新米教師が赴任するのは異例。実際に「初任で一高はなかなかないよ」と同僚の先生方から声をかけられているようで、「そんなにプレッシャーをかけないでほしいな、と」と苦笑する。

学校行事などあらゆる活動のすべてを生徒の手で行う教育環境は「一高のスタイル」という。「全部、生徒が主体。教員はあまり踏み込まない印象。ただ、それは生徒と教員の信頼関係があってできるスタイルだと思うので、すごいなと感じています。生徒はこちらの言ったことの意図をしっかり汲んでくれる。なので、中途半端なことは言えません」と気を引き締める。部活動も生徒主体。この日もグラウンドに着いた阿部副部長に千葉監督が「最初にバッティングをやるって」と部員が伝えてきた流れを教えていた。休日練習では打撃投手を務めるなど、部員が立てたメニューにそってサポートしたり、助言したりしている。仙台一は昨夏、34年ぶりに4強入り。昨秋は県8強と上位に進出。「成績はチェックしていたので、決まった時は楽しみでした」。

学業では硬式野球部から現役で2年連続、3学年連続で東大合格者を出している。昨年は一浪で鈴木健さん、現役で関戸悠真さんがサクラを咲かせた。今年は投手だった大友剛さんが現役合格。クラス担任でもあった千葉監督は「成績が高かったわけではないが、勉強に対する意識が他の生徒よりも高かった。コツコツやっているのは東大向き」と感じ、コロナ禍による休校期間中に「東大を目指さないか」と電話した。他大学を志望していた大友さんは「どうしようかなと思ったけど、考えているうちに東大しかないと思いました」とチャレンジ。昨夏の代替大会準決勝で敗れた後のミーティングで「東大を受ける」と全員の前で公言し、勉強に励んだ。

千葉監督によると、学校としても東大に挑戦する生徒が少なくなっていたという。「(硬式野球部も)しばらく閉ざされ、勝手に諦めていた。長い、長いトンネルに入っていましたので、昨年合格した2人の存在は本当に大きいです」。2018年のエース・鈴木さんが久しぶりに東大に挑み、一浪で合格し、東大硬式野球部に入部。今春のリーグ戦でデビューした。大友さんにとって関戸さんは中学の先輩でもあり、「正直……。失礼ですが、現役は難しいだろうなと思っていたんです。合格して、尊敬するようになりました(笑)」。身近な先輩に刺激を受けて現役合格を果たした大友さんは、鈴木さんに続いて硬式野球部の門を叩くことになっている。

東大に限らず、レベルの高い国公立や有名私大、医学部などさまざまなジャンルに挑んでいる仙台一。そんな学業と野球の「二兎を追う」をモットーにするチームにやって来た甲子園経験者の阿部副部長。今はまだ、仕事を覚えて慣れることに精一杯だが「甲子園がどんなところかということを言えるのは強み」と経験を生かしながら、生徒に寄り添っていくつもりだ。

「石巻工は周りに支えられ、頑張れる環境を作ってもらっての甲子園出場でした。震災も背景にありました。そういう中でも頑張ってきてよかったと思えるのが甲子園だった。その環境や場所を与えたいと思って教員になったので、それを目指すことの大切さを伝えたいですね」

仙台一の硬式野球部のグラウンドは海から3キロほどしか離れておらず、東日本大震災の津波では瓦礫が押し寄せ、約1年間使用できなかった。そんな過去がある学校で教員として、指導者としてスタートを切った石巻市出身の阿部副部長。新たな風を吹き込ませ、再び、聖地に戻る時に向かって邁進する。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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