永井博士没後70年

 被爆医師の永井隆博士は70年前のきのう、1951年5月1日に43歳で天に召された。容体の急変後「聖母マリア!」と叫び、ロザリオを手に取って息絶えた▲「原子野の聖者」と呼ばれた博士は国民的人気を集めた。第1号長崎市名誉市民であり、市葬には1万5千人が参列。吉田茂首相も弔辞を寄せた▲原爆で妻を失い、白血病と闘いながら2人の子とつましく暮らした。博士の境遇と、病床で執筆した「この子を残して」など愛と平和の大切さを説く数々の著作は、大戦で深く傷ついた国民の強い共感を呼んだ。時代が博士を求めていた▲ただ死後には、原爆を「神の摂理」ととらえた思想が被爆者の怒りの声を封じ込んだ、との批判も起きた。博士のあまりにも大きくなった影響力が生んだ「影」の部分とみることもできよう▲博士の中心にはカトリック信仰に基づく隣人愛がある。「お互いに許し合おう…お互いに不完全な人間なのだから-。お互いに愛し合おう…お互いにさみしい人間なのだから-」。敵をつくらなければ戦争は起きないと説いた▲「原子爆弾は長崎でおしまい! 長崎がピリオッド! 平和は長崎から! だれもがそう叫んでいる」。時代が変わっても被爆地が受け継ぐべきもの。それは強く、純粋に平和を叫び続けた博士の信念である。(潤)


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