スーパーGT第2戦富士の公式練習を前に土屋春雄さんに哀悼の意を示す黙祷が行われる

 5月4日(月・祝)に富士スピードウェイで開幕したスーパーGT第2戦『たかのこのホテル FUJI GT 500km RACE』。この公式練習を前にした8時55分から、長年日本のモータースポーツ界に大きな貢献を残し、第1戦岡山の決勝日となる4月11日に亡くなった、たつちやエンジニアリング初代代表の土屋春雄さんに哀悼の意を示す黙祷が行われた。

 土屋春雄さんは1945年群馬県出身。バイクに熱中し、スズキのレーシングチームである城北ライダースに加わり、1968年に東名自動車に移籍。エンジンを中心に担当し、1971年に独立。レーシングガレージである『つちやエンジニアリング』を立ち上げた。車体からエンジンまでレーシングカーづくりのすべてを自ら手掛け、チーム代表でありながら、エンジンチューナー、エンジニア、ファブリケーター、メカニックまで仕事をこなした。

 スーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権では、土屋春雄さんの知恵と技術で仕立て上げたトヨタMR2で1998年に鈴木恵一/舘信吾のコンビでGT300チャンピオンを獲得。またアペックスと組んだ1999年も新田守男/高木真一組がチャンピオンを獲得している。

 そんな土屋春雄さんは、第1戦岡山の決勝日である4月11日に亡くなった。息子である土屋武士率いるつちやエンジニアリングはその日、岡山でレースを戦っていたが、その日に訃報が届いた。

 スーパーGTをプロモートするGTアソシエイションでは、この第2戦に向けエントラント、来場者へお願いし、第2戦富士の公式練習に先立つ8時55分から、土屋春雄さんに哀悼の意を示す黙祷を行った。

 この際、1番ピットには1999年チャンピオンカーであるモモコルセ・アペックスMR2がつちやエンジニアリングから運び込まれ、土屋武士監督、GTA坂東正明代表、そして高木が並び、また全チームのスタッフと車両がピット前に整列。黙祷を捧げ、日本のモータースポーツの発展に貢献した土屋春雄さんの逝去を悼んだ。

 またモモコルセ・アペックスMR2は、当初パドックで関係者のみに展示される予定だったが、急遽ピットビューイングでもファンに向け展示されたほか、グランドスタンド裏の横浜ゴムのブースでは、2003年にアドバンブランド25周年を飾ったADVANスープラ、またグループAを戦ったAE92カローラ・レビンと、つちやエンジニアリングの歴史を伝えるマシンが展示された。またHOPPY team TSUCHIYAのピットには、春雄さんの遺影と帽子が掲げられている。

公式練習に先立ち、全チームが参加し土屋春雄さんへの黙祷が行われた。
1999年チャンピオンカーであるモモコルセ・アペックスMR2
1999年チャンピオンカーであるモモコルセ・アペックスMR2
HOPPY Porscheのピットに掲げられた遺影と帽子
グランドスタンド裏の横浜ゴムブースに展示されたADVANスープラとグループAのカローラ・レビン

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