<レスリング>【特集】比較されてしまう兄弟選手、経験者しか分からない辛さに挑む…男子フリースタイル74kg級・乙黒圭祐(自衛隊)

 

(文=布施鋼治)

 カザフスタン・アルマトイで行われたアジア選手権の最終日(4月18日)。男子フリースタイル74㎏級の乙黒圭祐(自衛隊)は初戦で敗退。圭祐に勝ったモンゴルの選手もその直後に敗れたため、敗者復活戦に回ることはできなかった。

74kg級の初の国際大会は初戦敗退だった乙黒圭祐(自衛隊)=撮影・保高幸子<UWW>

 3年ぶり3度目のアジア選手権に、どんな印象を抱いたのか(過去は61・70kg級で、74kg級では初)。「海外の試合で、現地に来てから試合までまるまる1週間もあるというのは初めての経験でした。そこに少し戸惑いはあったけど、自分が日本でやっていることを心がけてやっていました」

 敗因を聞くと、圭祐は「自分がやろうとしていたプランがあり、それにとらわれすぎていた。もっと柔軟に考えて、攻めればよかった」と唇を噛んだ。

 具体的なプランとは? 「自分の強みである組み手がどれだけ通用するのか。前半は通用していて自分のペースだったと思うけど、後半になって流れがちょっと変わってきた。そこに対応しきれなかった」

 今大会の男子フリースタイル・チームの監督を務め、ふだん圭祐を指導する湯元進一・自衛隊コーチも「前半はロースコアで抑えることを意識しすぎていた。それが消極的な動きにつながった」と振り返る。「(当初の予定では)後半にさばいて、相手が嫌がったところで攻め返そうとしていた。それが理想のパターンだったけど、思ったほど相手をさばき切れなかった」

 湯元進一監督は、こうも言った。「前半から積極的に取りにいき、そのあと、細かく戦術を変えていく方が、試合に勝つためのレスリングはできたんじゃないかと思う」

弟から刺激は受けるが、自分は別の選手

 知っての通り、湯元進一監督は2012年ロンドン・オリンピックに兄の健一・日体大コーチとともに出場し、日本レスリング史上初めて双子でメダルを取ったレスラーとして有名。しかしながら、兄は2008年北京オリンピックでメダルを獲得していたので、進一監督の方は北京大会からの4年間、何かと比較され大変だったという。

3度目のアジア選手権で闘う乙黒圭祐=撮影・保高幸子<UWW>

 「4年間、そのプレッシャーが嫌で、ずっとかわし続けていました。でも、それは事実なので受け入れるしかなかった」

 奇しくも、圭祐も弟・拓斗が2018年に世界王者となり、今大会でも優勝したことで、何かと比較されることが多い。圭祐は「刺激は受けるけど、拓斗は別の選手。弟は弟なんですけど、自分もひとりの選手として考えたい」と割り切ろうとしている。

 圭祐の試合の前日(17日)に行なわれた拓斗の試合ではセコンドにはつかず、自分の最終調整に励んだ。大会前、湯元進一監督は圭祐にはっきりと告げたという。「おまえは、拓斗のための圭祐じゃない」

期待をエネルギーに変えて東京オリンピックに挑む

 それでも、世間は勝手なもの。なかなか分けて考えてくれない。それが、兄弟選手の宿命なのか。湯元進一監督は「経験した自分にしか言えないこと」と、アジア選手権で初戦敗退直後の圭祐にゲキを飛ばした。

 「拓斗は優勝してチヤホヤされている。見ていて悔しくないのか」

2011年世界カデット選手権で銅メダル獲得の乙黒圭祐(右端)。世界での実績づくりは早かった

 圭祐は即座に答えた。「悔しいです」

 兄弟選手の苦しさは、同じ苦しさを味わった者しか分からない。進一氏は圭祐に並々ならぬ期待を寄せるがゆえに、かける言葉が強くなるが、その前のやりとりでは「圭祐の闘い方も悪くないけど、取れるところはしっかり取っておいた方がいい」とアドバイスすることも忘れなかった。

 「これがオリンピック本番でなくて良かった。(この敗北を糧に)もう一段階、上に上がらないと」(湯元進一監督)

 今大会での活躍を、圭祐は自分自身でも期待していた。周りも注目していたので、現地入りしてからの調整に熱が入っていることは記者の目からもよく分かった。しかし、それが裏目に出ることもある。湯元進一監督は「自分で『やってやる』というプレッシャーをかけたことで、ちょっと固くなってしまったのかなとも思いますね。でも、期待をかけられているというのはいいこと。現役時代の僕も、期待があったからよかったと思う」と話す。

 東京オリンピックまで、あと3ヶ月。湯元進一監督は、圭祐にさらに厳しく指導しようとしている。

© 公益財団法人日本レスリング協会