直江津空襲慰霊集会 当時の様子、語り継ぐ 記念標柱設置から30年 慰霊の思い共有

 太平洋戦争中に県内初めての空襲で犠牲者が出た直江津空襲から76年目の5日、上越市の黒井公園で慰霊集会が開かれた。新型コロナウイルスの影響で2年ぶりとなった集会には、当時を知る住民ら約10人が参加、平和への思いを新たにした。

直江津空襲から76年、記念標柱設置から30年。関川会長らが思いを語った

 昭和20年5月5日午前11時15分ごろ、米軍機により7個の爆弾が投下され、黒井周辺で3人が死亡、5人が重軽傷を負った。集会は、直江津空襲と平和を考える会(関川幹雄会長)がこの出来事を語り継ごうと、記念標柱を設置した平成3年から実施している。

 参加者による黙とう後、原水爆反対や不戦への誓いなど、さまざまな平和への思いが語られた。空襲当時、現場付近の工場で働いていた同市五智1の男性(94)は「ブリキ板を振るうような爆弾の投下音が聞こえ、床に伏せると爆発音が聞こえた」と生々しい状況を語り、「あの日のことを聞き、戦争の痛みを知ってほしい」と願った。

 関川会長は「(記念標柱設置から)もう30年たったのかという印象。今後も集会を通じて、慰霊の思いを共有していけたら」と話した。

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