当事者だけ知らない

 〈人間の眼にはそんなに大差には見えませんね〉〈まだまだ難しい応酬が続く局面です〉…解説の棋士のコメントをよそに、人工知能(AI)による形勢判断の数値がどんどん一方に傾いていく▲先週の木曜、昨年秋から続いていた将棋の藤井聡太二冠の連勝を佐世保市出身のトップ棋士、深浦康市九段が「19」で止めた一戦。終盤の攻防をネットの中継で眺めながら、少し奇妙な現実に気がついた▲プロの将棋には生活が懸かっている。この将棋のことを最も真剣に考えているのは、間違いなく対局中の2人だ。しかし、AIが弾き出したこの局面の「答え」を当事者だけが知らない。このゲームは数年前から人間が機械に勝てなくなった▲AIの形勢判断が傾いた瞬間から、対局者は目の前の相手と戦いながら、読みの深さと正確さを厳しく試される。そこから優位を拡大できなければ周囲からたちまち「あ、間違えちゃった」と評価されてしまう▲これまでと異質の難しさ、厳しさが-そんな感想をメールで伝えると、深浦さんから「気にしても仕方ないので、盤上に集中を高めて臨みました」と短い返信をいただいた▲一周まわって原点に返ったような言葉が何だかすがすがしく響く。公式戦での対藤井聡太戦はこれで2勝1敗。数少ない“勝ち越し組”だ。(智)

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