夢は元ハム田中賢介氏も認めた“北海道産” 指導者も兼務する唯一無二のバット職人

2003年に全日本クラブ野球選手権で優勝した金野健司氏【写真:石川加奈子】

「ホーネッツ」の選手として2003年に全日本クラブ野球選手権で優勝した金野健司氏

札幌市中心部から車で1時間30分。人口2000人の喜茂別町に居を構え、1人で木製バットを黙々と作っている職人がいる。札幌のクラブチーム「ホーネッツ」の選手として2003年に全日本クラブ野球選手権で優勝した金野健司氏だ。

自宅兼工房を訪ねると「バット自体もそうですが、野球が好きなんですよ」と穏やかな笑みで出迎えてくれた。現在女子硬式クラブチーム「ホーネッツ・レディース」のヘッドコーチを務めており、服装は野球帽に練習用ウエア。まさに“野球小僧”といった風貌だ。

ゴーグルとマスクを装着すると、一気に仕事モードに突入する。まずは角材を旋盤にかけて円柱に削っていく。難なくこなしているように見えても、両手に相当の衝撃が加わっていることは、その轟音が物語る。

北海道教育大札幌校出身で高校の教員をしていたこともある金野氏がバットを作り始めたのは、クラブ選手権で優勝した翌年の2004年。当時のクラブ代表が「バットは高いから自分たちで作ろう」と発案した。「それまで関心はなかったのですが、一度作っているところを見せてもらい、やらせてほしいとお願いしました。発想がすごいと思って」とバット職人への道を歩み始めた。ビルの地下にある2畳ほどの広さの物置が最初の仕事場だった。

現在は女子硬式クラブチーム「ホーネッツ・レディース」のヘッドコーチも務める【写真:石川加奈子】

2019年秋に日本ハムの田中賢介内野手も北海道産ダケカンバ製バットを使用

苦労したのは、1本1本密度や比重の違う角材を希望の重さやバランスに仕上げること。「これと同じバットを900グラムで作ってほしい」という注文があると、適した角材を選ぶことから作業はスタートする。「最初は勘で選んでいたのですが、ことごとくうまくいかなかったですね」とスタート時の苦い思い出を振り返る。

元々細かいマニュアルがあった訳ではない。1人で悩んで考えて辿り着いたのは、角材とモデルになるバットをそれぞれ細かく計測すること。直径、長さ、重さから体積を求め、密度を割り出す。求める重さと長さのバットに合う角材を選び出すための数字が並んだ一覧表は、金野さんが編み出した世界に一つしかない設計図だ。

注文通りに旋盤で削ったバットをヤスリで削った後、ウレタンニスを手作業で塗っていく。途中でブランド名「SapporoBatWorks」のマークを入れながら計5度の塗り作業を終えてやっと完成する。1日で作ることのできる本数は3本。札幌の販売会社を通じてクラブチームの選手や大学生に1本1万円で販売して、喜ばれている。

今年3月からは喜茂別町の地域おこし協力隊として活動するため、札幌市から喜茂別町に移住した。金野氏が製作したバットや地元の木を使った木工品は同町のふるさと納税の返礼品になる。

今後は北海道に自生するダケカンバを使ったバット作りにも興味を示す。実例はある。2019年秋に北海道水産林務部と北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場が日本ハムの田中賢介内野手に北海道産ダケカンバ製バットを贈呈。このバットで安打を放った田中は当時「メイプルとホワイトアッシュの間のような柔らかさとしなやかさがあり、打感が良い」と高評価していた。

現在、金野氏が扱うバットの材質はカナダから輸入されたメイプルがほとんどを占めるが、森林面積の多い喜茂別町から寄せられる期待も大きい。「旭川地方のダケカンバはバットになりやすいと聞いています。こちらにもダケカンバはあるので、バットにできれば、面白いと思います」。指導者とバット職人という二足のわらじを履く金野氏は、北海道産バットを世に送り出すという夢を思い描きながら、唯一無二のバットを作り続ける。

【動画】指導者を兼務する唯一無二のバット職人 製造現場での実際の工程

【動画】指導者を兼務する唯一無二のバット職人 製造現場での実際の工程 signature

(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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