原点は諫早中の3年間 自転車・小林優香(日本競輪選手会)

2020年3月、自転車トラック種目の世界選手権女子ケイリンで力走した小林。日本はこの種目で初めてとなる五輪出場1枠を獲得した=ベルリン

 東京五輪の自転車女子日本代表で佐賀県鳥栖市出身の小林優香(日本競輪選手会)は、中学時代を長崎県で過ごした。当時、打ち込んでいたのはバレーボール。「強くなりたい」という一心で全国大会常連の諫早中へ進んだ。日本女子ケイリン界を引っ張る27歳は「努力する大切さや勝負の厳しさを教わった中学時代。あの3年間があったから、今、世界を相手に戦えている」と自らの原点に思いをはせる。
 バレーは9人制の選手だった母の影響で、8歳から始めた。そのころから「夢は五輪に出ること」。レフトとして活躍していた小学6年時に諫早中の存在を知り、親元を離れた。それからは下宿生活をしながら、名将・千綿和子コーチの下で汗を流す毎日。「上にいくためには、どういうふうに考えて行動しなければならないか」-。恩師に受けた心の指導はずっと根底にある。
 高校もバレーで熊本県の必由館に進学。中学時代は全国中学大会で8強に入り、高校でもインターハイに出場したが、自らが目指した位置には届かなかった。加えて身長164センチと高さがない。「バレー選手としては厳しいかな…」と感じながら、卒業後は古里に戻って佐賀女短大で競技を続けた。
 転機は短大1年の夏、何げなく見ていたロンドン五輪のテレビ中継で自転車に出合った。「生身の人間が自力であんなスピードを出せるんだ」。感動した。「これだ」と思い、その年に日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の適性試験を受けて合格。翌年の2013年に短大を中退して競輪学校に入ると、すぐに才能が開花した。
 トップの成績で卒業後、14年にケイリン選手としてデビューすると、圧倒的な強さで連勝。15年には賞金女王に輝いた。「バレーは挫折という形で終えた。自転車で絶対に成功してやる」。その強い決意が、日々の長くきつい練習を重ねていける原動力だった。
 競輪学校在学中の14年にトラック種目の世界選手権に出て以降、自転車競技の日本代表としても活躍。18年ワールドカップの女子ケイリンで日本勢初の表彰台となる銅メダルをつかむなど、着実に力をつけてケイリン、スプリントの2種目で東京五輪出場を決めた。
 五輪を夢見ていた幼いころの自分が、今の姿を見たら「やっと、スタートラインに立てたね」と言うと思う。「東京五輪で金メダルを取って、千綿先生に会いに行きたい」。その栄光のゴールまで、力の限り駆け抜ける。


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