ブリティッシュロックの新機軸を生み出したトラフィックの4thアルバム『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』

『John Barleycorn Must Die』(’70)/Traffic

1960年代、本場アメリカのブルースやR&B;に影響されたブリティッシュロックのグループが雨後の筍のように現れた。64年にデビューしたスペンサー・デイヴィス・グループもそうであったが、彼らは他のグループと一線を画していた。その理由はリードヴォーカルをスティーブ・ウインウッドが担当していたからである。ウインウッドの天才歌手ぶりは有名で、イギリスだけでなくアメリカにまでその名が知られていた。グループは「キープ・オン・ラニング」(全英1位)や「ギミ・サム・ラヴィン」(全英2位)といった大ヒット曲をリリースして人気グループとなるものの、ウインウッドは67年に脱退し、新しいロックを追究するためにテクニック面で優れたメンバーを集めてトラフィックを結成する。今回はフュージョンやジャズロックの先駆けとなったトラフィックの4枚目となる傑作『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』を取り上げる。

最強のグループ、 パワーハウスのセッション

ウインウッドがスペンサー・デイヴィス・グループを脱退することになったのは、エレクトラのサンプラーアルバム『ホワッツ・シェイキン』(’66)にセッション参加したことがきっかけだと思われる。このアルバムには14曲が収録されており、当時大人気のラヴィン・スプーンフル(4曲)、ポール・バタフィールド・ブルース・バンド(5曲)、アル・クーパー(1曲)、トム・ラッシュ(1曲)と、エリック・クラプトン&パワーハウス(3曲)というアーティスト5組が取り上げられた。ブリティッシュ勢はパワーハウス一組だけであり、彼らの3曲はこのアルバムのための唯一の新録(グループではないので当然ではあるが)となった。

当時、エレクトラのロンドン・オフィスが開設されることになっており、ブリティッシュロックの若手の有能株をこのサンプラーに組み込むことはエレクトラのイギリスでの成功に不可欠の要素であった。プロデューサーのジョー・ボイドとマンフレッド・マンのポール・ジョーンズは話し合い、アメリカ側が有名なスターで固めているだけに、ブリティッシュロック側としてはオールスター的な人選をすべきだと考えた。そして、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズを抜けたばかりのクラプトン、ピート・ヨーク(ブルース・ブレイカーズ)、ジャック・ブルース(マンフレッド・マン)、ポール・ジョーンズ、ウインウッドというメンバーで、セッションは行なわれた。

このパワーハウス名義でのセッションは有意義なものとなった。ここでの演奏は「クロスロード」「ステッピン・アウト」「アイ・ワント・トゥ・ノウ」の3曲(録音は4曲行なわれたのだが、残りの1曲は現在も未発表のまま)で、このうちの2曲はクラプトンとジャック・ブルースが結成するクリームのレパートリーにもなっており、明らかにそれまでのブリティッシュ・ビートグループのサウンドとは違う新しいタイプのロックが生み出されようとしていた。

トラフィックから ブラインド・フェイスへ

ウインウッドもまた、このパワーハウスのセッションで彼の目指すサウンドのヒントを掴み、前述したようにスペンサー・デイヴィス・グループを脱退し、デイブ・メイソン、クリス・ウッド、ジム・キャパルディとトラフィックを結成する。トラフィックのメンバーは各々ソロミュージシャンとしてもやっていける力量を持った人材であり、それだけに自己主張が強く、スタート当初からぶつかることが多かった。特にウインウッドとデイブ・メイソンは音楽性の違いが甚だしく、デイブが入退団を繰り返すことになる。

ミュージシャンとしてのウインウッドの才能はどんどん成長を続けるが、デイブ・メイソンとの確執は根強くあり、2ndアルバム『トラフィック』(’68)をリリースした直後にデイブは脱退、グループとしても活動休止を余儀なくされてしまう。トラフィックはそもそもウインウッドのワンマンバンド的な部分があり、ギター、ベース、キーボードを彼の多重録音で処理していて、この時点でソロになっても良かったのだが、ちょうどこの頃、クリームを解散したばかりのクラプトンとジンジャー・ベイカーに誘われて、ブラインド・フェイスに参加するものの、結局ブラインド・フェイスも1枚アルバムを作っただけで空中分解してしまう。

ソロアルバム制作

ジンジャー・ベイカーはブラインド・フェイス解散後、アフリカン・ジャズロックグループのエアフォースを結成、そのデビューアルバムにウインウッドはゲスト参加し、そのポリリズム的な展開に影響を受ける。その後、初のソロアルバムを制作するためにスタジオに入るのだが「ストレンジャー・トゥ・ヒムセルフ」「エブリ・マザーズ・サン」の2曲を録音したところで、タイトなリズムセクションや管楽器が必要となり、クリス・ウッドとジム・キャパルディを呼び寄せる。

本作『ジョン・バーレイコーン ・マスト・ダイ』について

結局、ソロアルバムとなる予定のアルバムはトラフィックの再結成(3人のみ)アルバムとなる。パワーハウス、ブラインド・フェイス、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース等への参加はウインウッドの音楽性の幅を広げることになり、これまでにない新しいスタイル(今でこそフュージョンやジャズロックという言葉があるが、当時にしたら画期的なサウンドであった)のロックを提示することになる。この時、ウインウッドはまだ22歳!

収録曲は全部で6曲。1曲目の「グラッド」はアルバム唯一のインストで、ブリティッシュ的な旋律とプログレの香りもする新生トラフィックに相応しい佳曲となっている。続く「フリーダム・ライダー」はタイトなリズムで、跳ねるようなウインウッドのベースとクリス・ウッドの管(サックス&フルート)が素晴らしい。「エンプティ・ページズ」では、当時まだ珍しかったエレピをウインウッドは使っていて、ソロの部分ではジョー・サンプルのようなプレイが聴ける。タイトルトラックはブリティッシュトラッドの有名な曲で、ペンタングル、バート・ヤンシュ、フェアポート・コンヴェンションなど、多くのアーティストが取り上げている。この曲でウインウッドはアコースティックギターを弾いているのだが、彼はギターも実に上手い。

本作はソウルやブリティッシュトラッド風味に加え、ジャズファンク的な要素もある。実験的でありつつポップな部分も感じさせるなど、のちのソロ時代のウインウッドを予見させるような深みのある内容になっている。最も初期のフュージョン作品でもあり、スティーヴの早熟かつ天才ぶりがよく分かるアルバムに仕上がっていると思う。

TEXT:河崎直人

アルバム『John Barleycorn Must Die』

1970年発表作品

<収録曲>
1. グラッド/Glad
2. フリーダム・ライダー/Freedom Rider
3. エンプティ・ページズ/Empty Pages
4. ストレンジャー・トゥ・ヒムセルフ/Stranger to Himself
5. ジョン・バーレイコーン/John Barleycorn (Must Die)
6. エヴリ・マザーズ・サン/Every Mother's Son

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.