船木誠勝が語るUWF3派分裂 「生々しい別れ方をしてるんで、笑顔で会ったりは…」

第2次UWF最後の日には前田を中心に新団体を設立するつもりだったのだが…(90年12月1日)

ハイブリッドレスラー・船木誠勝(52)が、これまでに遭遇した様々な事件の裏側や真相を激白する大好評企画。今回は第2次UWFの解散から分裂までの後編だ。UWFを解雇された全所属選手は前田日明(62)の下に集結し出直すはずだったのだが、驚きの反逆劇で空中分解。3派に分かれてしまうという思わぬ流れになってしまった。そのすべてを船木が明かす!

【THE FACT~船木が見た事件の裏側(5)】1990年12月にUWFを解雇された全選手は自然と前田さんの家に集まりました。前田さんは「WOWOWが付いてるし、横浜に新しい道場も用意した。とりあえず俺が代表じゃないけど決めていくからな」と。それに1月分の全選手の給料を前田さんが自腹で払ってくれました。

事務方は前田さんの知り合いの芸能関係の方に任せたいというんです。渋谷でその人たちと会ったんですが「この人たちで大丈夫なのかな」と、ちょっと不安になりました。で、そのあと、前田さんの家に突然招集がかかったんです。前田さんはこう話しました。

「これからやっていくにあたって、俺を信じてくれなきゃ困る。全部俺が連れてきた人だし、俺のことを信じてやってくれないと、すごくやりづらい。ひとりでも信じないなら、俺はやらない」

鈴木(みのる)がすぐに「自分は信じます」と言いました。ところが宮戸(優光)さんが「無理やり上から言われて〝はい、やります〟とは言えません」って言っちゃったんですよ。さらに安生(洋二)さんまで「自分も同じ意見です」と続いたんです。

前田さんは「さっき言ったばかりだろ。ひとりでも信じてくれないならやっていけないんだよ」って言いましたが、2人とも引きません。で、前田さんはひと言、こう言いました。「わかった。じゃ、解散」。

そしたら、みんな本当に帰っていくんです。鈴木が前田さんに食い下がりましたが、前田さんは「いや、できない」。鈴木は「そんな…ないスよ」と泣いちゃいました。

自分と高田(延彦)さんと山崎(一夫)さんと冨宅(飛駈)、垣原(賢人)、田村(潔司)が残ってたんで「前田さん、これだけでやりませんか」と訴えても、返事は同じ。帰りのエレベーターでは高田さんに「俺たちだけでやりませんか。一回やったら、たぶん前田さん、来てくれますよ」と言ったんですが、高田さんは「前田さんがやらないっていうんだから無理だよ」と…。

鈴木が心配だったんで家に行ったら、案の定、泣いてました。でも、かつ丼を食ってましたけどね(笑い)。安生さんは宮戸さんといるということで行くと「前田さんは話にならない。このメンバーでやりましょう」(宮戸)。結局、前田、高田、山崎、藤原(喜明)以外の若手全員が安生さんの家に集まって、新団体をつくろうなったんです。前田さんも高田さんもやらないっていうし、これしかないのかなと思いましたね。

それで会議をしていたら、ミスター空中(レフェリー)さんから電話がかかってきました。「船木と鈴木、藤原(喜明)さんが呼んでるから明日来い」と。行ってこれまでの経緯を説明すると、藤原さんは「わかった。集まってる若手、全員連れてこい」。メガネスーパーの社長が資金を出すというんですよ。

いい話なんで持って帰ったんですが、宮戸さんが反対しました。「藤原さんがいると絶対好きなことできない。こっちでみんなでやれば新しいことができる」と言ってましたね。でも、事務仕事を宮戸さんの芸能関係の先輩にやってもらうことになっていて、今ひとつ信用しきれなかったので藤原さんのところに行きました。それが藤原組です。宮戸さんは看板選手が必要なんで高田さんに接近。それでできたのがUWFインターナショナルです。

そしたら今度は前田さんが動き出しまして。もう一回やり直したいと、選手の家を一軒一軒訪ね歩いてるというんです。でも、誰とも会えてないと…。前田さんは1週間ぐらい頭冷やしたら、みんな来るだろうと思ってたそうです。逆にその1週間は激動で、前田さんが待ってる間に大きく様変わりしていたんですよね。それで前田さんは独りでリングスをつくったんです。

ケンカ別れしても、時がたてば笑顔で会ったりするんですが、このUだけは会えないです。ホント、生々しい別れ方をしてるんで無理ですね。

【今回の事件】1991年1月、前年12月にUWFを解雇された選手たちは前田を中心に新団体を設立するべく話を進めていたが、宮戸、安生が前田に反発したことでご破算に。高田をエースにしたUWFインターナショナル、藤原と船木、鈴木が中心の藤原組が発足し、前田は独りきりでリングスを設立。解散から2か月ほどでUWFは3つに分かれた。

ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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